明治40年代
当時10代の若者、近藤市右衛門にさかのぼります。信仰篤い市右衛門は焼津市浜当目の虚空蔵尊“福偉智虚空蔵菩薩”より“福偉智”を頂いて“福一丸”と命名し、焼津最初の発電機付きの漁船を建造し以来、積極的な経営が今も脈々と続いております。 その市右衛門の長女ちよが福一丸無線長だった水野仙一郎を婿に迎えて、今もある北浜通の一角の“なんばん小路”にある市右衛門の建てた家の離れで共に暮らしていました。
当時10代の若者、近藤市右衛門にさかのぼります。信仰篤い市右衛門は焼津市浜当目の虚空蔵尊“福偉智虚空蔵菩薩”より“福偉智”を頂いて“福一丸”と命名し、焼津最初の発電機付きの漁船を建造し以来、積極的な経営が今も脈々と続いております。 その市右衛門の長女ちよが福一丸無線長だった水野仙一郎を婿に迎えて、今もある北浜通の一角の“なんばん小路”にある市右衛門の建てた家の離れで共に暮らしていました。