専門時代1~専門時代2~盛岡で修行~地元で修行
【専門時代1】
秋田県一の治療家を目指し極貧生活を始める
進路は自身の大ケガとお世話になった治療院の先生の影響もあって、鍼灸師になることを決意しました。この職業に人生をかけると決め「秋田県で一番の治療家になる」が口癖でした。
盛岡の専門学生時代は生活費や学費を工面するために、6畳一間のアパートに親友と二人暮らしを始めます。専門学校まで往復20キロを自転車で通い、スイミングインストラクターや整骨院のバイトを掛け持ちしてほぼ休みなく深夜まで働き、ちくわともやしで過ごす超極貧生活をしていました。
ちなみに、この時のスイミングインストラクターのバイト先の上司が、現在の奥さんになるとは思ってもいませんでした。
【専門時代2】
仕事、技術、人間性を
師匠から貪欲に吸収
時間があれば岩手県や宮城県の鍼灸の治療研究会に行き、技術だけでなく東洋医学にのめり込みました。
師匠とは専門学生時代に知人の紹介というご縁もあり公私ともに指導していただき、仕事へ向かう姿勢を叩き込んでいただきました。仕事に熱く、カッコいい師匠はとにかくイタズラ好きでした。
専門学校を無事卒業後国家試験も無事一発合格、治療家として走り出しました。
【盛岡で修行】
圧倒的な熱量と
譲れない思いを持って働く
就職先はバイト先の上司から紹介してもらったご縁もあり、とにかく仕事に励みました。ある日いつもと同じように仕事をしていると職場でお世話になっていた先輩から言われました。
「圧倒的な熱量と、譲れない思いを持って仕事に向かう人に人は動かされる」
その言葉に奮起し、それからは誰よりも早く出勤して隅から隅まで掃除をし、深夜までホテルで出張をして職場の誰よりも一番長く働きました。院長とは圧倒的な熱量と譲れない思い、その思いは今になっても変わりません。
【地元で修行】
安定=ぬるま湯状態の人生
から新たな挑戦
その後、ご縁あって地元角館の整骨院で修業をさせていただきながら、介護施設の手伝いなど治療家以外の仕事も経験できたことはとてもいい経験になりました。
その頃、地元の友人に誘われて始めたストリートダンスにのめり込み、真夜中まで時間を忘れて没頭しました。ダンスで培った身体の使い方は現在も身体操作やバランス感覚にとても役立っております。
仕事も安定し、結婚もして子供も生まれ、地元の仲間達にかこまれて過ごすのはとても心地良いものでしたが、どこか不完全燃焼な自分に自問自答する日々が続いていました。
「自分の人生はこのままで良いのか?」
「まだまだやれることがあるだろ?」
そんな時にちょうど前の職場の社長に勧められて、秋田市で整骨院の立ち上げに誘われました。地元での安定した生活を捨て、秋田市で挑戦するのは勇気がいりましたが自身の成長だと秋田市へ行くことを決意しました。