私とベリーダンスなれそめ
踊ることは好きだったがなかなかいろんなジャンルのダンスが続かなかった。小中学校でアイススケートをするも、時間帯的に通えなくなって辞め、高校の時はジャズダンスの部活に入って、人間関係で辞め、大学の時は、ジャズダンスのカルチャーに入るも、当時は遊びたい気持ちが強く辞めるが、踊ることは好きでクラブに行くようになり、踊り明かす。社会人になり、サルサを始め若干続くが一人で自由に踊りたいと思っていた時にベリーダンスに出会った。それ以外にもヒップホップやうらじゃも手を出すが続かなかった。
2007年に倉敷のトルコ料理屋さんトゥルクァズ(現ぎゃるぎゃる)で師であるYasmeenのポスターに出会う。ベリーダンスが何か知らなかったが、エキゾチックな雰囲気に惹かれ、友人3人と教室にいき、曲線的なラインに衝撃を受けそこからベリーダンスに徐々にはまっていく。まだ認知の低かったベリーダンスは、他ジャンルイベントの隙間に入れられることが多かったため、ベリーダンスだけのイベントがしてみたい!と思いイベントを企画してみたりベリーダンスチームMEADを立ち上げ、勝手に活動してみたりしていた。踊る話はくるけれど、自分自身の踊るレベルの低さに行き詰まっていた時にYasmeenよりアシスタントの話をもらい、インストラクター候補として、レッスンを手伝ったり、サポート役として動き始める。
2010年よりYasmeen Bellydance Schoolインストラクターとして山陽新聞カルチャープラザと天神山文化プラザにてレッスンを務める。そうこうしているうちに、本業であった営業職とのバランスが取れなくなり会社から契約を打ち切られ、職をなくす。(インストラクターを始める前に、正社員から契約社員に切り替えてもらっていたが思いの外早く契約が打ち切られてショックを受ける。)Yasmeenに相談したところYasmeen Bellydance School岡山校の管理人兼、インストラクターの話をもらい、喜んで引き受ける。神経質な私はいろんな人に迷惑をかけながらも周りの人に支えられ、助けられて、なんとか続けていく。その間、自分のスタイルや未熟さに悩み続け超不定期で東京のタカダアキコや蜜月稀葵に習う。いいむろなおきのパントマイムに衝撃を受け、大阪まで習いに行くがこちらは挫折。コンテンポラリーダンサー清水フミヒトとの衝撃的な出会いを経て現在定期的にレッスンを受けている。
なんだかんだと悩んでいるうちに2013年冬に子宮頸がんの円錐切除で人生初入院をしがむしゃらにつっぱしていた時に時間ができ、人生を考え心と身体に向き合い、独立を考え始める。2014年、いろんなタイミングが相まって独立の話を相談し、2015年秋、ベリーダンスアトリエ 麻ノ葉を立ち上げる独立直前、立地予定だった、夫の店が火事になり(みんな無事)スタジオジプシーしながら始めることとなる。