ASHRAQAT プロフィール
ASHRAQAT
立岡麻子
ベリーダンスアトリエ麻ノ葉 主宰
2007年よりYasmeenに師事。
同岡山校にてダンサー、インストラクター、岡山校責任者を務めたのち2015年よりベリーダンスアトリエ麻ノ葉を開校。
タカダアキコ、Huleya、Almaz of Cairoを始め、国内外を問わず様々なダンサーのWSを受け、学び続ける。
エジプシャンスタイルを追求する傍ら、コンテンポラリーダンス、パントマイムなどに影響を受けた、独自の世界を展開するフリースタイルフュージョンを得意とする。
生演奏でのパフォーマンスも大切にしており、バイオリンとパーカッションとダンスのユニット、[△-misumi-]では、ベリーダンスの醍醐味であるオリエンタル音楽、バルカン系ジプシー音楽だけでなく、即興アンビエント音楽など実験的なパフォーマンスも展開する。
2018年よりAlmaz of CairoよりダンサーネームをいただきASHRAQAT(アシュラカト)に改名。
[ 受賞歴 ]
2016年 Kansai Bellydance Competition トライバルフュージョン部門 奨励賞
Social media
Mixed media feed
プロフィール&コンセプトSee more
ベリーダンスのオリエンタルスタイル、ジプシースタイル、フュージョンなど様々なスタイルを学び、追求しながら、自由な表現の可能性を探し、学び、シェアしていきます。体の芯を大切にし、じっくりとした反復的なレッスンに重きを置きつつ、エネルギーの流れや、身体の楽な在り方、「ヒト」が持つ本来の美しさを追求します。また、音楽の理解を深め、愛し、インスピレーションを大切にするため、生演奏との稽古の機会なども定期的に作り、自分の耳や、感受性を育てましょう。さらに、ベリーダンスの枠に捉われない、アートな感覚も磨き、発信していきます。 レッスンはダンス未経験者から、経験者まで歓迎します。一人ひとりが、自分の体と向き合い、それぞれの「美しさ」「ユーモア(魅力)」を引き出し、そして、身体的にも精神的にも心地よい毎日に一緒に変えていきましょう。 一生踊れる身体を作る。そして、「快」の身体と生き、踊っていく。
麻ノ葉という名前は、様々な意味が込められています。 「麻」という植物は古来より神社の神事で使われており、舞うことにより、光や空気などとつながっていきたいという思い。 古代エジプトではミイラを巻くのに麻の繊維が使われていたり、またやはり神事で使われており、日本とアラブの本質的なものをつないでいきたいという思い。 大麻には多幸感があり、それによって取り締まりの対象となっていたり、その判明、医療大麻として鎮痛剤、催眠作用などの目的で使われている。舞を通じて、踊る人も見る人も精神的に幸せになり、そして昇華していきたいという思い。 オーガニックな意味でも「麻」は近年見直されてきており、自然に強く心地よい布地であったり、食べ物であったりする。そんな麻のようにナチュラルに強く、そして心地よい存在でありたい。 「麻の中の蓬」という諺があり、麻はまっすぐ伸びるので曲がりやすい蓬でも一緒に育てるとまっすぐになるということから、心のまっすぐな人と関わると、そうでない人も自然と感化されてまっすぐな心の人になる、という意味。日常で疲れた心も、一緒に舞うことでまっすぐに戻してしまうような時間でありたいという思い。 麻の葉模様のように、一つ一つのパーツ(踊り手)も美しく、たくさん集まると目がくらむような美しさがあるものへの尊敬と憧れ。 主宰である「Asako」の「麻」。神主さんにつけてもらった自分自身のルーツを大切にしたいという思い。 「麻ノ葉」のように、普遍的で、素朴で、危うくありたいという思いを込めて。
レッスンを行う上で大切にしていることは、表面にとらわれず、身体の芯を意識していくということと「楽しい」という気持ちを大切にすること。「とりあえず」ベリーダンスの動きができるようになるところを目指すのではなく身体の動かしやすい位置、楽な位置、綺麗に見える位置を第一にしその上で飾りをつけていくイメージ。自分自身が全くダンスの基礎がなかったことからの反省もある。(もちろん今も学びの途中)。そうでないと、本質的な美しさは手に入らないしダンスをして身体を痛めては、本末転倒であるから。 私が最初に教え始めた時に踊ることが好きで一生懸命練習するが故に腰痛で辞めた生徒さんがいた。その当時はその生徒さんにどうすることもできなかった。とても悔しかった。そんな生徒さんをもう決して出さないようにしたい。そして、楽しんで踊り続けれるようにサポートしていきたい。
踊ることは好きだったがなかなかいろんなジャンルのダンスが続かなかった。小中学校でアイススケートをするも、時間帯的に通えなくなって辞め、高校の時はジャズダンスの部活に入って、人間関係で辞め、大学の時は、ジャズダンスのカルチャーに入るも、当時は遊びたい気持ちが強く辞めるが、踊ることは好きでクラブに行くようになり、踊り明かす。社会人になり、サルサを始め若干続くが一人で自由に踊りたいと思っていた時にベリーダンスに出会った。それ以外にもヒップホップやうらじゃも手を出すが続かなかった。 2007年に倉敷のトルコ料理屋さんトゥルクァズ(現ぎゃるぎゃる)で師であるYasmeenのポスターに出会う。ベリーダンスが何か知らなかったが、エキゾチックな雰囲気に惹かれ、友人3人と教室にいき、曲線的なラインに衝撃を受けそこからベリーダンスに徐々にはまっていく。まだ認知の低かったベリーダンスは、他ジャンルイベントの隙間に入れられることが多かったため、ベリーダンスだけのイベントがしてみたい!と思いイベントを企画してみたりベリーダンスチームMEADを立ち上げ、勝手に活動してみたりしていた。踊る話はくるけれど、自分自身の踊るレベルの低さに行き詰まっていた時にYasmeenよりアシスタントの話をもらい、インストラクター候補として、レッスンを手伝ったり、サポート役として動き始める。 2010年よりYasmeen Bellydance Schoolインストラクターとして山陽新聞カルチャープラザと天神山文化プラザにてレッスンを務める。そうこうしているうちに、本業であった営業職とのバランスが取れなくなり会社から契約を打ち切られ、職をなくす。(インストラクターを始める前に、正社員から契約社員に切り替えてもらっていたが思いの外早く契約が打ち切られてショックを受ける。)Yasmeenに相談したところYasmeen Bellydance School岡山校の管理人兼、インストラクターの話をもらい、喜んで引き受ける。神経質な私はいろんな人に迷惑をかけながらも周りの人に支えられ、助けられて、なんとか続けていく。その間、自分のスタイルや未熟さに悩み続け超不定期で東京のタカダアキコや蜜月稀葵に習う。いいむろなおきのパントマイムに衝撃を受け、大阪まで習いに行くがこちらは挫折。コンテンポラリーダンサー清水フミヒトとの衝撃的な出会いを経て現在定期的にレッスンを受けている。 なんだかんだと悩んでいるうちに2013年冬に子宮頸がんの円錐切除で人生初入院をしがむしゃらにつっぱしていた時に時間ができ、人生を考え心と身体に向き合い、独立を考え始める。2014年、いろんなタイミングが相まって独立の話を相談し、2015年秋、ベリーダンスアトリエ 麻ノ葉を立ち上げる独立直前、立地予定だった、夫の店が火事になり(みんな無事)スタジオジプシーしながら始めることとなる。
私は岡山生まれ岡山育ってきた。これからもなんとなく、岡山に根が生えていて、岡山を拠点に生きていくと確信している。愛着があり、もっともっとよくしたいと思っている。自分自身は岡山に立ち、そこで成長し、交流し、発信していきたい。それは、「岡山が好き」ということもあるがアンチ中央集権というところもある気がする。 岡山の人は「東京からきた」とか「大阪からきた」というと「スゴイ!」と思う人が多い。(というか私がそれだ(笑))もちろん東京や大阪に好きなダンサーさんはたくさんいるのだけどそこに行かないと、良いものに触れられない、楽しいことがないといのは、なんだか悔しい。もちろん、私自身よく観に、学びにいくのだけれど。 それであれば、自分が岡山に立ち、岡山の人たちが楽しめるイベントを企画したり、自分自身や、その周りが成長していけば岡山の地産地消でもっとクオリティの高いアートが見られるようになるのではないか。岡山のアーティストが育てば、県外から好きな人を呼んだ時に全体の完成度が高いパフォーマンスが展開できるのではないか。そう思うようになった。 前の仕事をしていた時に、目の前の人が笑顔であってほしいと思って働いていた。今、ダンサーとして生きるにあたり目の前の人が自分のパフォーマンスを見て日常を忘れられたり、心が軽くなったり、浄化されたり。日常のプラスになるような、そんな存在になりたい。岡山の人にハイクオリティで楽しめるものの、提供を、そして岡山におもしろいダンサーがいると言われるようになりたい。
Health & safety
- Sanitized surfaces
- Regular ventilation
- Hand sanitizer dispensers
- Staff must wear face masks
Basic info
チケット制にて毎週レッスンを行っています