大正12年
二代目若島登(現社長の祖父)が、前身である「若島屋漆器店」を開設。
当時は道路どころか交通手段も未発達、塗師屋はふろしき包みを担いで、もっぱら徒歩で全国を行商する。
このころ鉄道は、輪島まで開通しておらず、背中や両手に荷を沢山背負い、午前2時頃輪島を出発して、20kmばかり先の穴水へ歩いていき、そこから船に乗って七尾へいき、汽車に乗って金沢へ出て、北陸・信越と乗り継ぎ、翌朝東京・上野へ到着した
二代目若島登(現社長の祖父)が、前身である「若島屋漆器店」を開設。
当時は道路どころか交通手段も未発達、塗師屋はふろしき包みを担いで、もっぱら徒歩で全国を行商する。
このころ鉄道は、輪島まで開通しておらず、背中や両手に荷を沢山背負い、午前2時頃輪島を出発して、20kmばかり先の穴水へ歩いていき、そこから船に乗って七尾へいき、汽車に乗って金沢へ出て、北陸・信越と乗り継ぎ、翌朝東京・上野へ到着した