明治44年

初代、下村利雄は明治44年11月長岡市黒津の生まれ、7人兄弟であり、長岡高校に進み入学当初、学年順位6番の成績を残すも 学費が足りず、中退を余儀なくされ 長岡市内の料亭で見習いとして住み込みで働くことになる。 見習い期間を終え、新町五丁目(現在の新町3丁目)に家を借り 利雄の出身地が黒津だったため黒津屋という屋号で魚屋を始める。 時に24歳独身であった。

昭和20年

【大和に搭乗するはずだった男】 下村利雄は海軍に入り、新潟港から出航の船に呼びだされる。搭乗先は、戦艦大和 九州に向かう途中の 金沢沖にさしかかった頃に どいういう訳か 「引き返せ」との信号を受ける。 戦局は厳しく、戦艦大和はアメリカの攻撃を受け 多くの犠牲者を出し海に沈む。戦争について多くを語らなかった利雄だが晩年、「大和に乗っていたら命は無く今の杉乃栄も無かった。」と語っている。