遊茶を始めたワケ それは“出遭ってしまった感動”を自分だけで止めてはいけないという想いと、自分以外の誰かと一緒に共鳴したいという願いからでした。 あの日、あの時、あのお茶に出遭わなければ、私は中国茶にのめり込むこともなく、 遊茶を始めることもありませんでした。 そのお茶は私の頭のテッペンから爪先、五臓六腑の隅々にまで沁み渡りました。私は救われた…と思っています。 遊茶は、こんな幸せな出遭いをできるだけ沢山の人に届けたい!という想いから始まって、今もその想いを追いかけています。 大切にしているコト “人”と “お茶”。 はじめに“人”。多くの人々との出遭いがあって遊茶が始まり、沢山の人々の力添えがあって今まで続けられ、ますます強く感じる、自分ひとりでは何もできなかった…という感謝。 ともすれば目前の雑事に没頭しがちな日々の中、必ずしも皆さんに、しっかりと義と礼を果たせてきたとは言い難い… けれど、感謝の気持ちだけはずっと持ち続け、決して忘れてはならないと心に誓っています。 そして “お茶”。良いお茶を入手するのに経験と能力と努力が必要なのは当たり前、と考えています。 良いお茶を良いとハッキリ伝えること、それが、お茶の名誉、遊茶のプライド、そしてお客様への私の気持ちです。 これからのユメ これまでと変わりません。 中国茶って美味しいな、イイな、面白いな、素晴しいな、スゴイな…って思っていただける機会をもっともっとご提供したいと思います。 ですから、是非、遊びにいらしてください。だから「遊茶」なんです。