私には、山口県萩出身、小野述信という宣教権判官・神祇大祐を歴任した祖先(高祖父)がいます。小野述信は150年程前、江戸末期から明治初期にかけ、藩校明倫館の小学師匠となり、また隣接する敬身堂では心学を講義をしました。
 また、明治維新の礎となった長州の志士達を指導された吉田松陰先生主宰の山口県萩にあった松下村塾の下で維新の志士達と共に学び、後輩達の指導にも尽力したようです。明治維新後は、新政府において神祇官に出仕し、宣教権判事となり皇道を進講した。
 明治4年(1871年)8月、明治政府のもとに神祇官は神祇省に変わり、明治5年3月14日、神祇省は廃止された。その後、神仏儒の合同布教体制となり、国民教化の専門機関として教部省が設置された。教部省へ改省後は教部小丞として風教改善に従事しました。そして、教部小丞の任を終え、群馬県師範学校の校長(1879年5月~1880年4月)を務めました。
晩年息子である小野徳太郎と共に『藍田学舎』という塾を創設し、若き後輩達への教育を生涯を通して行いました。私は、偶然か必然か自分の祖先と同じように塾を創設致しました。創設に至る過程の中でこのような教育へ生涯を通して尽力した小野述信は、何を思い、そして何処へ向かったのかを知りたいと思いました。
 しかし、何処にも答えは見つかりませんでした。今、唯一解る事は、『未来を作るのは子供達である』という事です。私も塾講師という教育者の端くれとして子供達への教育を通して未来に少しでも貢献できれば、この思いを胸に『藍田学舎』の名を祖先から頂き、私の生まれ育ったここ大倉山に『大倉山藍田学舎』として創設致しました。
※Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E8%BF%B0%E4%BF%A1

※2022年4月より塾名を変更致します。『大倉山藍田学舎』改め、『藍田学舎』として運営して参ります。