本田遊無が見当流を編み出す。
起倒治郎左衛門が起倒流を創始する。
伝昌院伝寿が東軍流を開く。
伊東九郎左衛門が藤牧検藤流を成立する。
丹羽氏清が猿投神社に馬の塔を奉納する。
丹羽氏次が猿投祭りに棒の手を奉納する。(鎌田流の発祥)
大覚院兼政が無二流と名付ける。
八木弥市郎が直心我流を開く。
献馬、馬の塔、棒の手禁止の県令がでる。(明治11年まで)