慶応二年創業
慶応二年。 仏教信者石丸吉兵衛は、朝暮お末寺参り(東本願寺別院)を念願として、遂にお末寺前に煮売り屋の暖簾を下げました。 いただき、ふり売り、山村の人達が心安く気軽に腰掛けて弁当をひらく大衆食堂が最初でした。 味噌汁一椀、煮肴一皿、それで満足して弥陀本願の喜びを頒ち合ったことです。石丸氏二代のあとを受けて宮川氏四代、三界火宅の荒波の中、ひとすじに「いしや」の暖簾を守りつづけて来ております。
慶応二年。 仏教信者石丸吉兵衛は、朝暮お末寺参り(東本願寺別院)を念願として、遂にお末寺前に煮売り屋の暖簾を下げました。 いただき、ふり売り、山村の人達が心安く気軽に腰掛けて弁当をひらく大衆食堂が最初でした。 味噌汁一椀、煮肴一皿、それで満足して弥陀本願の喜びを頒ち合ったことです。石丸氏二代のあとを受けて宮川氏四代、三界火宅の荒波の中、ひとすじに「いしや」の暖簾を守りつづけて来ております。