フィエット発足。女子選手の為のチームをスタート。 この年飯田・下伊那はもちろんクラブ初のプロ選手が誕生。宮下周歩選手(当時J2松本山雅FC)
トップチームが長野県サッカー2部リーグへ昇格。
任意団体であった「アザリー飯田フットボールクラブ」から「一般社団法人アザリー飯田フットボールクラブ」となる。 中学年代の女子選手の受け皿としてフィエットU-15発足。
トップチームが長野県サッカー1部リーグへ昇格。
伊賀良少年サッカークラブとアザリー飯田が同組織化。飯田・下伊那初のクラブチームとしてスタート。
シニア発足。生涯スポーツの実践を目指して活動開始。
FC飯田としてクラブが発足
ジュニアユースが発足。サッカー部のない中学の選手の受け皿となる。 キッズが発足。サッカーの裾野拡大を目指す。
長野県社会人リーグ南信リーグで優勝。次年度県リーグの舞台へ。 クラブ名を「アザリー飯田」とする。 アザリーとは飯田市花であるミツバツツジの造語。