悲しくて、怖くて、悲しい。

うまく人と話せなかったり。 うまく仕事がこなせなかったり。 そんなつもりじゃなかったのに、誰かを傷つけてしまったり。 自分のせいで迷惑をかけてしまったり。 そういえば、前にも同じような失敗したなぁ。 そういえば、ずっとこうだなぁ...。 私ってぜんぜん成長してない。 私って本当にダメな人間...。 もっと、うまくやりたいのに。 本当はもっと、頑張らなきゃ...。 でも、私なんか きっと何をやってもうまくいかない。 たくさん失敗して、そんな自分がどんどん嫌いになって 嫌いな自分を責めて、どんなに責めても変われなくて。 そんな事を繰り返してしまうのが、悲しい。 すごく悲しい。 すごくすごく悲しい....。 生きててもいいよって、許可をもらえていない気がして そんなあなたでもいいんだよって、愛をもらえない気がして そんな世界を生きていくのが、怖い。 すごく怖い。 すごくすごく怖い...。 悲しくて、怖くて、悲しい。 そう、私の心は、そう言ってる。 「悲しくて、怖くて、悲しいよ。」 今まで 私の心が、もうこれ以上 悲しくて、怖い想いをしないように もう二度と、こんな気持ちを味合わなくて済むように もっと、うまくやらなきゃ。 本当はもっと、頑張らなきゃ...。 そう思って、生きてきましたね。 そう思っていても、どうしてもうまくできなくて 疲れてしまっていましたね。 悲しい気持ちで溢れている時。 怖くて何もかも信じられない時。 そういう時は、きっと誰だって 立ち止まって涙を流したり。 誰かに寄り添ってもらったり。 そういう時間が必要です。 傷を癒す、時間が必要です。 必要なんです。 必要なのに、 傷付く度に聞こえる 「悲しくて、怖くて、悲しいよ。」 そんな声を聞くのが嫌で 心にある、悲しみや怖さを味わいたくなくて 自分自身や、誰かを責める声を大きくする事で 心の中の悲しみや怖さを、かき消そうとしていたかもしれませんね。 自分自身や誰かを責める事で、前に進もうとしていたのかもしれませんね。 私の心は 「悲しくて、怖くて、悲しいよ。」 そう言っている。 それが私の気持ち。 「悲しくて、怖くて、悲しい。」 その気持ちを静かにただ、感じてください。 ただ、味わってみてください。 癒す時間が、必要なはずです。

自己肯定感の暴走①

自己肯定感という言葉、皆さまもご存知かと思います。 巷では、自己肯定感を高める本やセミナーなどもたくさんありますね。 「自己肯定感が高い」とはどんな感覚なのでしょう? 言葉通りのイメージとして ・ありのままの自分を肯定できる感じ ・自分を好きでいられている感じ ・自分に自信がある感じ そんなイメージがありますね。 なんとなく、ぼんやりと きっと自己肯定感が高いと、今みたいに小さな事でクヨクヨしないんだろうなぁ。 自己肯定感が高いと、人の目も気にならないんだろうなぁ。 自己肯定感が高いと、もっと楽に楽しく生きられるんだろうなぁ。 あぁー自己肯定感高めたいなぁ。 そう思っている方も多いかと思います。 ただ時々、「自己肯定感」というキラキラしたイメージをそのまま求めすぎて 誤解された自己肯定感が、あらぬ方向に暴走してしまっている方もいます。 『私は私のまま、そのままで価値がある。 ありのままのダメな自分も受け入れよう! ダメな自分でもいい!』 その感覚はとても大切です。 今まできっと、ダメな自分を責め続け とても苦しかったと思います。 今まで 「私は愛されない」 「私はダメな人間だから」 と、無意識に自分自身に暗示をかけ(あるいは誰かに暗示をかけられ)続けてきたのです。 だから 「ダメな自分でもいいんだ」と思えるようになると楽になりますね。 ところが、そう簡単には思えませんよね。 だってダメな自分はみんなから嫌われる ダメな自分は愛されない。 それは事実のような気がするから...。 じゃぁどうすればいいんだろう。 自己肯定感を高めたいのに、うまくできない...。 自己肯定感が早く欲しい!!! 自己肯定感を求めすぎて焦ってしまう。 そんな方が次に挑戦する事は 「私はこれでいいんだ!!」と自己暗示をかける事です。 今まで「私はダメな人間だから愛されない」と自己暗示をかけていたように、今度は以前とは逆の自己暗示を強く強く。 「私は私のまま、そのままで価値がある。 ありのままのダメな自分も受け入れよう! ダメな自分でもいい!」 この自己暗示は、成功する方としない方がいます。 成功しない方は 「でもやっぱり...ありのままの自分を肯定できない。」 と、長年かけていた「私はダメ」という自己暗示に戻っていきます。 そして、成功する方はどうなるかというと 自己肯定感が、徐々に暴走を始めます。 自己暗示をかけ始めた最初の頃は、様子を見ながら...少しずつ.... 失敗しても、自分勝手な事をしてしまっても 「そのままの自分でも大丈夫なんだ。そのままの自分でいいんだ。」と心に伝え続ける事で 立ち直りが早くなったり、以前のような苦しみは少なくなったように感じられてきます。 「私は私のまま、そのままで価値がある。 ありのままのダメな自分も受け入れよう! ダメな自分でもいい!」 そうして心が自由になってくると 「私はダメな人間だから愛されない」と今まで我慢したり、抑圧して押さえつけていた様々な気持ちが 少しずつムクムクと膨れ上がってきます。 より強く自己暗示をかける事に成功した後に、何が待っているかというと その先にあるのは「怒り」の感情です。 私は私のまま、そのままで価値がある。 ありのままのダメな自分も受け入れよう! ダメな自分でもいい! 私はそのままでいいのに 私はそのままで価値があるはずなのに なのに、あの人が私を否定したり私を愛さないのは あの人が私を受け入れられないのは、あの人が悪い! あの人がおかしい!! きっとあの人は自己肯定感が低いから、私を受け入れられないんだ。 それならもう私の事は放っておいて!! そんな怒りの感情は重く心にのし掛かります。 今まで我慢して抑圧していた分、怒りの感情はとても重くとても強く 誰かにぶつけずにはいられなくなります。 これが自己肯定感の暴走です。 これは、映画「アナと雪の女王」で雪山で城を構えて閉じこ籠ったエルサと同じ状態です。 じゃぁ...じゃぁ.... 自己肯定感ってなんなの!? どうしたらいいの!? そう叫びたくなりますね。

自己肯定感の暴走②

「自己肯定感が高いとありのままの自分を受け入れる事ができて、悩んだり苦しんだりしなくて済むはず。」 というのは、全くの誤解です。 自己肯定感が高くても、悩んだり苦しんだりはします。 ただ、悩みや苦しみの質が違います。 アナと雪の女王のエルサは、妹のアナを傷付けた悲しみや恐怖。みんなの期待に応えられないという苦しみ。 それら過去の経験や感情に囚われ、アナやみんなに会うとそういった感情が蘇ってしまう為に 「一人でいたい。誰にも会いたくない。」 と閉じこもっていましたね。 自己肯定感がとても低かったのです。 雪山で自分の城を構えた時は 生き生きとした表情で「ありのままの自分でいい」と歌いますが アナが迎えに来た時は、冷たく突き放し拒絶します。 自己肯定感の暴走が起こっていた為です。 しかしエルサは最後、自分の中にあった愛に触れた時から 自己肯定感が高まります。 その為エルサは、過去の経験や感情に囚われず 「今自分は何をすべきか」 「今起きているこの問題をどう解決していくか」 過去の自分は一旦置いておいて 【今】に集中する事ができるようになったのです。 過去の経験や過去の感情を再び味わう事を恐れ、自分を無理に肯定し 「ダメな自分でもいい!ありのままの自分でいい!」 と背中を向けるのではなく 過去の経験や過去の感情は、過去のものとして一旦置いておいて 「ダメな自分はいるけれど、その上で今私は何ができるか」 と、悩む事ができるようになるのです。 自己肯定感が低い気がして悩んでいる時、 自己肯定感を高めたいと強く望んでいる時、 自己肯定感の暴走は起きていないか? 過去の経験や過去の感情に囚われていないか? 【今】に集中できているか? 自分の心に目を向けて、今の自分はどの段階にいるのか 時々確認してみてくださいね。

頑張りすぎてしまう人の「頑張り」とは

『目標を達成したい! 理想とする現実を手に入れたい! その為に一生懸命、私は頑張る!』 熱意に溢れとても前向きな、ポジティブなエネルギーのように感じますね。 そうしたエネルギーの中で実際に夢を叶え、キラキラ輝く理想の自分を手に入れた方もいるでしょう。 しかし、ついつい頑張り過ぎて疲れてしまう。 頑張り過ぎて、気付けばいつもボロボロになっている。 そんな方もいるかと思います。 グッタリ疲れて倒れ込んで、また何とか立ち上がっては全速力で走る。 それを繰り返しているうちに、ついには立ち上がれなくなって...。 立ち上がる力も残っていないボロボロの足を、力いっぱい叩いて叩いて 「どうして私はできないの!?立たなきゃいけないのに!もっと走らなきゃいけないのに!!どうしてどうして...」 情けなくて悔しくて苦しくて そんな事を繰り返してしまう自分が悲しくて。 ボロボロの足を引きずりながら、涙を流して言うのです。 「私ってなんてダメな人間なんだろう」 ポジティブな頑張りの中でなりたい自分を手に入れる人と 自分に鞭を打つように頑張り続け結果ボロボロになってしまう人。 一体何が違うのでしょう? その二者の大きな違いは「目的」にあると私は感じています。 ポジティブなエネルギーの中で頑張る方は、叶えたい夢や理想の自分を思い描き目標とします。 つまり未来に目的を置いています。 一方、いつもついつい頑張り過ぎて気付くと疲れ果てボロボロになってしまう そんな方が頑張る理由、目的は「リベンジ」である場合が多いと感じます。 つまり過去を見ているのです。 あの時の、あの瞬間の失敗した記憶。 そして、後悔・悔しさ・悲しみ・恐怖・恥・怒り...。 心に強く焼き付いている、その瞬間の景色、感覚、感情。 もう二度同じような想いを味合わない為に。 もっと頑張らないと、また同じ想いを味わう事になるかもしれない。 無意識の心が警報を鳴らせば鳴らすほど、強迫的なまでに自分を追い込まなければいられなくなるのです。 強迫的なまでの追い込みの中で、同じような苦しみを味合わなくて済んだ時 「ああ、今度はちゃんできた!」という強い安堵感と達成感を感じます。 強迫的なまでの追い込みの中で、それでも思うようにうまくできなかった時 「またあの苦しみを味わう事になるに違いない、また私は出来なかった」という強い恐怖と絶望感が襲います。 あの安堵と達成感を味わう為に あの恐怖と絶望感を味合わない為に。 何度過去のリベンジをしても、心に強く焼き付いているあの瞬間の景色、感覚、感情。 思うようにうまくできないと途端に襲ってくるあの時の恐怖と絶望感と戦いながら、必死で頑張って。 今度は大丈夫...そう安堵しても、やっぱり恐怖は拭えなくて。 あの恐怖と絶望感を味合わなくて済むまで、もっともっと強い安心感を求めずにはいられない...。 グッタリ疲れて倒れ込んで、また立ち上がっては全速力で走る。 繰り返し繰り返し...。 立ち上がる力も残っていないボロボロの足を、力いっぱい叩いて叩いて 「どうして私はできないの!?立たなきゃいけないのに!もっと走らなきゃいけないのに!!どうしてどうして... ....怖い!怖いよぉ...!!」 もう大丈夫。 怖かったんだね。 すごく悲しくて、すごく寂しかったんだね。 「もう大丈夫だからね。」 何度も何度もあの時の、終わりのないリベンジを繰り返している事に気付いた時は 心の中で震えているあの時の自分を、迎えに行ってあげてください。 頑張り過ぎて疲れ果て、ボロボロになってしまうあなたの心の中で あの時の自分がずっとずっと待っています。 「もう大丈夫だよ。」 そう優しく抱きしめてくれる誰かを、ずっとずっと待っているんです。 たくさんたくさん乗り越えて たくさんたくさん痛みや苦しみを味わってきたあなたは 誰よりも優しく強く抱きしめてあげる事ができるはずだと私は思います。 そしていつかあの時の自分と今の自分とが手を取り合い 未来を見つめ、一歩ずつでも未来へと歩んでいける事を 私は信じています。

心を開くってどうやるの?

人になかなか心を開けない...っていう方は実はとても多いです。 職場の人や友人にはもちろん、恋人や家族にも心を開いていないかもしれない という方もいるかもしれません。 心を開けない。 心を閉ざしている。 壁を作る。 いろんなニュアンスがありますが、それらにはどんなイメージがありますか? 気を遣いすぎて、遠慮してしまう? なんとなく信じられなくて、本当の自分・本当の気持ちをさらけ出せない感じ? 嫌われるのが怖くて、必要以上にいい人を演じちゃう? 上辺だけの付き合いのように感じてしまい、寂しくなりますね。 自分がどう見られてるか気になって、疲れてしまいますね。 どうして私は心を開いて人と接する事ができないんだろう...。 誰にでも心を開いて自然体で生きているように見えるあの人が羨ましい。 どうして私は...。 そう感じてしまう事もあるかと思います。 心を閉ざし壁を作るのは、いわば防御です。 他人からの心ない言葉や予期せぬ攻撃 もしくはダメな自分を責める事で自分で自分の心を傷つけたりして。 たくさんたくさん傷ついてきたから 急所を鎧で守るように、もうこれ以上傷付かないよう 常に両腕を胸元でクロスさせているみたいに 心を閉じて壁を作り 自分の心を守っているのです。 傷付かないよう一生懸命防御すればするほど 相手のネガティブな感情や言動に敏感になります。 敏感に注意深く相手を観察していないと、いつ自分を攻撃し傷付けてくるか いつダメな自分が相手を不快にし、自分も傷付く事になるかわからないという不安が 自分の心を守りたいと思えば思うほど、強くなるからです。 「今あの人が不機嫌なのは、私に苛立っているからに違いない」 「今あの人がため息をついたのは、きっと私に呆れたからに違いない」 「あの人の元気がないのは、私といるのがつまらないからに違いない」 相手のネガティブな感情や言動に敏感になればなるほど あれもこれも傷付けられる危険性が孕むように思えてきて 怖くて不安で仕方がなくて 無意識のうちに更にぴったり心を閉じて、更に壁を厚くしてしまう。 けど本当は...心を開ける自分になりたい。 本当は...怯える事なく自然体で生きたい。 意識と無意識が一致してない、とても苦しい状態です。 心を開くって、とても怖い事ですね。 もし、心を開いて裏切られたら...。 もし、心を開いて拒否されたら...。 きっと更に深く傷付いてしまう。 だから守らずにはいられない...。 けれど、例えばあなただったら 両腕を胸元でクロスさせながら、こちらの言動を敏感に注意深く観察している人に対して この人になら心を開ける!仲良くなりたい!と思うでしょうか? 逆に、ちょっとこちらも警戒してしまいますよね。 では、この人になら心を開ける!と思える人ってどんな人でしょう? それは両腕をクロスさせている人ではなく 両手を大きく広げている人 ではないでしょうか。 両手を広げて、「あなたをそのまま受け入れるよ」 と言って抱きとめてくれるような気がする人。 「今あの人が不機嫌なのは、私に苛立っているからに違いない」 ではなく 「何があったかはわからないけれど、今はきっと機嫌が悪いんだね。」 「今あの人がため息をついたのは、きっと私に呆れたからに違いない」 ではなく 「何があったかはわからないけれど、きっとため息をつきたい気分なんだね。」 「あの人の元気がないのは、私といるのがつまらないからに違いない」 ではなく 「何があったかはわからないけど、きっと今は元気がでないんだね。」 相手に対し、偏見や決めつけや憶測をせず 今目の前にいる相手をそのまま、ただそのままをそっと受け入れられる人。 どんなあなたでも、あなたのそのままを受け入れるよ。 そう言っているような姿勢の方には、心を開ける気がするのではないでしょうか。 実は「心を開いている人」というのは この「両手を広げている人」の事をいいます。 両手を広げ、抱きとめるように 偏見や決めつけや憶測をせず 相手の今をただそのまま、そっと受け入れられる人をいうのです。 両手を広げ心を開いている人といると、とても安心します。 そして、そんな姿をみていると自分も心を開いてみようかなと思えますね。 心を開いて誰かと繋がりたい。 そう思う時は、思いきって両手を広げ 偏見や決めつけや憶測をせず 相手の今を そのまま、ただそのままそっと受け入れるという事を意識してみてください。 両手を広げるなんて怖い。 どうやるのか分からない。 うまくできない。 ずっと怖かったのだから、きっと急にはできませんね。 ゆっくり一緒に練習していきましょう。

あなたが許せない人

あの人が許せない、どうしても許せない。 怒りで夜も眠れなくなるくらい、自分の背後にベッタリ張り付くように 何度も何度も思い出しては、その人への怒りの気持ちがどんどん膨れ上がっていく...。 そんな自分が止められなくて、苦しい。 でも、許せない。 許さなくていいよ。 それだけ、傷ついたんです。 それだけ、悔しいんですね。 悲しくて、虚しくて、寂しくて、心が真っ黒になってしまう。 考えたくないのに考えてしまう。 忘れられたらどんなに楽だろうと思うのに、やっぱり許せない...。 許せないと思う、その自分を許してください。 けどね、苦しいですね。 復讐しても、自分が消耗して余計に傷付くだけかもしれないと分かっているから 憎しみを自分の中で閉じ込めておくしかないですもんね。 自分を解放してあげたいのに、解放できない苦しさ。 本当はもう許したい。 だって自分が苦しいだけだから...。 許せない自分を許すってどういう事? あなたが許せない人はきっと あなたをとても傷付けたのでしょう。 その人は自己中心的で人の気持ちを考えられず、平気で酷い事ができる人。 嘘つきで、ズルくて、変に賢くて。 自分ばかりを守ろうとして、私の気持ちを踏みにじる。 それから? あなたが許せない人はどんな人? きっとあなたは今までずっと 「人を傷付けてはいけない。」 「自己中心的な考えをしてはいけない。」 「人の気持ちを一番に考えなきゃいけない。」 「嘘をついてはいけない。」 「ズルい事をしてはいけない。」 「自分を守ってはいけない。」 「人の気持ちを踏みにじってはいけない。」 それから? してはいけないと思っている事は、どんな事? それらを信じて、いろんな事を心掛けて 「〜してはいけない」と自分に禁じながら生きてきたような気がします。 人間だから、時には人を傷付けてしまったり 自分を守りたくなる時もありましたね。 そういう時は、すごくすごく罪悪感を感じて 自分を責め、自分を罰し、後ろめたさを感じながら生きてきたのかもしれません。 自分よりも人の事を想って、人の気持ちを考えながら慎重に慎重に...。 なのに、あの人は私が心掛けて禁じている事を 平気で破っている...。 当たり前のように、何も悪気がないように。 私は自分に禁じているのに。 禁止を破る事がとても怖くて 破ってしまったら 罪悪感に支配されて 自分を酷く責めて罰しているのに。 なのにあの人は.... 許せない。 たくさんの事を心掛けて 自分に禁じて 苦しいけど、生きていくためにはそうしなきゃいけないからって。 人として...優しく 正しくなきゃいけないって。 自分に対していろんな事を禁止してしまうと、とても苦しくなります。 なぜなら、それを破った時にとても自分を責めてしまうから。罰してしまうから。 禁止すればするほど窮屈になって、自分らしくいられないような気がして 自分に自信をなくしていくからです。 とても苦しくなります。生きていくのが怖くなりますね。 例え 時に 人を傷付けてしまっても 自分勝手な考えをしてしまっても ズルくても嘘をついても 自分を守ってしまっても 人の気持ちを考えなきゃいけないと、優しく 正しく なきゃいけないと ずっと自分に禁止事項を科して、自分を責め自分を罰してきたあなたです。 自分を正す為にそんなに多くの事を禁じなくたって あなたはとっても優しい人です。 例え時に禁止を破ったって、あなたにはたくさんのいい所、素晴らしい一面がある事を知っています。 「人を傷付けてもいい。」 「自己中心的な考えをしてもいい。」 「人の気持ちを一番に考えなくてもいい。」 「嘘をついてもいい。」 「ズルい事をしてもいい。」 「自分を守ってもいい。」 「人の気持ちを踏みにじってもいい。」 人が許せなくて苦しい時は、自分に科した禁止事項に気付いて 緩めてみてください。 「〜してもいい」と許可を出して許してあげてください。 そして、今まで精一杯 優しく 正しくあろうとした自分を抱きしめてあげてください。 「よく頑張ったね。」 禁止しなくても あなたはあなたのまま そのままで とっても優しい人です。

エネルギーが向いている方向を考える

心のエネルギーは、外に向いている時と内に向いている時とがあります。 エネルギーが外に向いている時 ♡→→ 「あの人は今どう考えているだろう」 「あの人は私のことをどう思っているだろう」 「あの人と比べて私は...」 「あの人から見て私はどう映っているだろう」 「あの人の為に私は何ができるだろう」 自分以外の誰かや何かを基準にした捉え方をしている時、エネルギーは外に向かって流れています。 外向きのエネルギーは、自分の中にあるエネルギーを外に放出しているため 場合によっては誰かに何らかのエネルギーを与える事ができますが 外向きのエネルギーばかりだと、自分の中のエネルギーはどんどん減っていきます。 「あの人に愛されたい」 「あの人に分かって欲しい」 「あの人を思い通りにしたい」 「あの人が憎い」 「あの人達に好かれたい」 特定の「あの人」に一生懸命エネルギーを向けても、一向に自分にエネルギーが返って来ない時 むしろどんどん自分のエネルギーばかりが減っていっている事に気付いた時 「あの人」に向けたエネルギーを取り返したくて 自分のエネルギーを返して欲しくて 次第に「あの人」に執着するようになります。 執着とは、自分が向けたエネルギーを返してほしいという願いです。 そして外向きのエネルギーを放出し続け、一定のラインを超えた時 心はエネルギー切れを防ぐために、強制的に内向きエネルギーに切り替え始めます。 ♡←← 強制的に内向きエネルギーに切り替わると、自分の心と向き合わざるを得ない状況に 自然となっていきます。 人に会うのが億劫になったり怖くなったりして、内に籠もりがちになったり 無気力になり、何もかもが面倒になったり 体調不良や不眠になり、時間を持て余すようになったり なんだかこの頃、心が不安定だな...。 なんだかこの頃、やる気が湧かないな...。 なんだかこの頃、体調が悪いな...。 それは、外向きのエネルギーが続き、エネルギー不足を防ぐ為 内向きのエネルギーに少しずつ切り替わっていく瞬間です。 外向きのエネルギーをストップさせ、内向きのエネルギーに切り替える事で エネルギーのバランスを取ったり エネルギーを温存したり エネルギーを補充しようとする働き それらの過程は、気付かぬ内に実に自然に行われます。 内向きのエネルギーは、内観する力を生み出します。 内観とは、自分自身の心の動きを観察する働きの事です。 「今私はどんな気持ちでいるのか」 「今私は何をどう感じているのか」 自分の心の動きを観察し、自分に向かいエネルギーを注ぐ事で 外向きのエネルギーにより不足していたエネルギーが、自然と自分に向かい補充されていきます。 心のエネルギーの流れはまるで、血液が循環するように 体内の細胞が視床下部に情報を送り体温を調整するように 体が自然に行なっている代謝と同様に 本人が気付かぬうちに調整されバランスを取りながら、上手に自然に流れています。 その怒りも、寂しさも、悲しみも、空虚さも その情緒不安定さも、悩みも、体調不良も 何もかも全て、バランスを取る為の働きです。 必要のない感情など、一つもありません。 感情も体感も、一つ一つに居場所を与えてください。 外に向いているエネルギーも、内に向いているエネルギーもしっかり味わって、感じてください。 外向きにエネルギーが流れている時 外向きのエネルギーによりエネルギー不足になった時 内向きのエネルギーに切り替わる時 内向きのエネルギーを感じられた時 内向きのエネルギーが十分に溜まった時 その循環の中で、自分でも気付かぬ内に実に自然と、エネルギーをよりよく使える状況に切り替わっていきます。 大丈夫。 必要のない感情など、一つもありません。

幸せとはなにか。

あなたにとって幸せの条件はなんでしょう? 安定した暮らしの中で過ごす事? 誰かから愛されて必要とされる事? お金があっていい暮らしができる事? やりがいのある仕事をして評価される事? では、なぜその条件が満たされれば幸せなのでしょうか? 実は私たちの存在は、とても曖昧なものです。 安定した暮らしが続くと思っても、何かのきっかけで不安定になってしまったり 誰かに愛され必要とされていると思っても、次の瞬間には不安になったり お金があっていい暮らしをしていても、まだ足りないと感じてしまったり やりがいのある仕事をして評価されても、ふと怖くなったり。 自分の評価や価値 居場所 与えられた愛情など、自分自身の存在が確かなものだという根拠を 安心できるまでなるべく多く積み重ね 「私という存在が確かに しっかりとここにあるんだ」という事を実感できたら、それは幸せというのかもしれません。 しかし一方で、それはまるで 「私の存在意義」という名の砂の城を、波打ちぎわで 一生懸命高く 頑丈に作っているかのような そんな印象を持つときがあります。 時間の流れや波に削られ、何度も何度も手を加え更に頑丈な城を目指す方 上手に砂の城を作る事ができず、波にのまれる度に涙を流しながら作り直す方 砂の城をあえて大波にさらし、大丈夫...壊れないと確信したい方 これ以上ないくらいに大きく頑丈な城を作れたと安心している方 波に怯えることがないくらい、絶対に崩れないお城を構える事ができた時 それを幸せだと 思うのかもしれません。 けれど不規則に訪れる波に怯えながら 砂の城=私の存在意義 を一生かけて作り上げる作業は 時にとても儚く、辛いものに感じるかもしれません。 一生懸命作った城が崩れ去ってしまった時は、自分の存在の曖昧さに 不安や怒り、悲しみが襲います。 私たちは、一生懸命砂の城を作った時ほど 砂の城=私自身 だと認識しています。 だけど... では、その砂の城を一生懸命作っているのは 誰? その城を作っている自分こそが本当は 「揺るぎない自分」なのです。 砂の城は時の流れや予期せぬ波により、崩れ去ってしまう事もあります。 しかしそれを作っているあなたは、いくら波に揉まれても崩れ去る事は決してありません。 それに気付く事ができた時、本当の幸せに近づけるのではないかと私は思います。

自分が嫌い

自分が嫌い。 顔も体も声も性格も、全てが嫌い。 たった一度の人生、どっちみち最期まで自分として生きていかなきゃいけないのなら どうせなら、自分を好きでいたい。 自分を好きになりたい。 だって自分が嫌いだと、自分の事を大切にできなくて 自分の事を大切にできないと、自分の為になるような選択ができなくて 自分の為になるような選択ができないと、ずっと幸せにはなれない。 そんな事分かってる、分かってるけど....。 ああ、自分を好きになりたい。 自分を好きになりたくて、たくさん本を読んだり セミナーに参加してみたり 「自己肯定感」とか「自己啓発」とか「なんとかの法則」とか ああ、なるほど!!こうすれば自分を好きになれるのね?って学んで アドラー?認知行動?NLP?マインドフルネス? へぇ〜!!なるほど!なるほど〜!! ちょ...!ちょっと待った!!! 学ぶ事は素晴らしい事です。 私もこの仕事をしている以上、日々様々な事を勉強しています。 そのお陰で得ているものはたくさんあります。 ただ、ちょっと待ってください。 例えば、 あなたのお母さんに 「ねぇ◯◯、お母さんどうしてもあなたを好きになれないの。愛せないのよ...。 だからね! 私、あなたの為に ''子供を好きになれる方法'' をいっぱい勉強しているの。 今日もね、こんなに本を読んで、明日はセミナーに行くの。 もう少し待ってね、これできっとあなたを愛せるようになるから!」 お母さんが嬉しそうにそう言ってきたとしたら、どんな気持ちになるでしょう? 果たしてあなたは嬉しいでしょうか。 本当はお母さんに、どうして欲しいと願うでしょうか? 「お母さん、そんなのいいから.... それよりも側にいて。私を見てよ、お母さん...。」 もっと、ただ側にいて ただ私を見て欲しい。 きっとそう思うんじゃないかな?と思います。 自分自身に対しても、同じかもしれません。 ただ側にいて ただ毎日私という存在に目を向けていて欲しい。 私を感じていてほしい...。 悲鳴のような小さな声 そんな声、聞き逃していませんか? 自分を好きになりたい。 その想いは、 「私の心を、私自身がもっと目を向けていつも感じていたい。 私の心に、私自身がしっかりと側で寄り添っていたい。」 本当はそんな気持ちなのかもしれませんね。 目を向けて感じてみてください。 ただ側で寄り添ってみてください。 あなたの心が、小さな声でお返事をしてくれるかもしれません。 もし1人で目を向ける事が 側で寄り添う事が怖い時は、私がいます。

月経前症候群(PMS)のメカニズム

なんだか気分が乗らなくてイライラして はぁ〜...ってため息ばかり吐きたくなる時。 女性は特にそんな日があるのではないかと思います。 何にこんなにイライラするのか分からないけど なんだか辛い、なんだか寂しい、なんだか苦しい...。 PMS(月経前症候群) あるいはPMDD(月経前不快気分障害) という言葉をご損じでしょうか? 生理前になると情緒不安定になり イライラしたり悲しくなったり...。 身体的な症状でいうと、胸の張り 眠気 腰痛 体が怠い などが挙げられます。 どうしてこのような症状が現れるのかというと エストロゲンとプロゲステロンという、女性ホルモンの影響という事は分かっていますが 実は詳しいメカニズムは解明されていません。 ただ、このような症状が現れるのは それぞれのホルモンの作用を考えると 当然の事のように私は感じます。 エストロゲンというホルモンは 「大人の女性らしい体を作る」という働きがあります。 お肌や髪を美しくしたり、バストの成形を助けたり 丸みのある柔らかい女性の体を作る手助けをしてくれるのがこのホルモン。 生理後から排卵後までに多く分泌されます。 エストロゲンが分泌されると体は 「大人の女性になりなさい」という指令を受け 強制的に「大人の女性」へと変わる段取りを始めます。 大人の女性って...なんでしょう? 人それぞれに「大人の女性」の概念はあるでしょうが 人類の女性の歴史から考えると 『自立しつつもパートナーとなる男性を優しく献身的に支え 子孫(子供)を守り育み、無償の愛を注ぐ事のできる女性??』 いや〜無理無理...。 だって私、まだ甘えていたい。 私自身の心がまだ自立できていないというのに 男性を優しく献身的に支えろとか ましてや子孫を守り育み、無償の愛だなんてそんなの...。 そう思った所で、毎月頼んでもいないのに まるで「大人の女性」の押し売りのようにエストロゲンは分泌されます。 「もーやめてよ!!大人の女性になんてなりたくない!」 特に幼児期の甘え 愛情が満たされていない女性は 強制的に大人の女性へと変わる段取りを始めてしまうこのホルモンに とっても強い抵抗を感じます。 「まだ甘えたい」 パートナーより子供より 私の事を 「もっと見てほしい」「愛してほしい」 体と心が一致しないのです。 次にプロゲステロン。 排卵期から生理が始まる前までに多く分泌されます。 妊娠した際に 「赤ちゃんを守る」為の体を作りなさいと指令するのがこのホルモンです。 指令を受け、体は強制的に「赤ちゃんを守る」体に変える段取りをします。 子宮内の状態を整えるなどの働きがありますが ここで一番注目したいのが 基礎体温を上昇させる という作用です。 体温を上昇させる作用を持つ理由は諸説ありますが 何よりもまず、母体の安全 を考えた時 外敵から身を守る必要があります。 これは本能的な部分で、野生動物と同じように お腹の赤ちゃんを守る為 外敵の存在をいち早くキャッチし 逃げる もしくは戦うの選択をしなければなりません。 その為には神経を張り巡らせ(過敏にし) 常に臨戦態勢を整えていなければいけません。 いつでも素早く対応できるよう 体に心拍や呼吸数を上げ、血を巡らせる為に 基礎体温が上昇します。 つまり、プロゲステロンが多く分泌される時期の女性は 常に臨戦態勢なのです。 神経を過敏にし、敵を虎視眈々と見定め ガルルルル!!と牙を剥く...。 エストロゲンとプロゲステロン この2つのホルモンの作用を総合すると 「もっと甘えたい」「私を見てほしい」でも大人にならなきゃいけない私(エストロゲン) 安全を図る為 ガルルル!!と牙を剥き、常に臨戦態勢の私(プロゲステロン) 寂しい、悲しい、優しくしてほしい、甘えたい、愛してほしい... でもなんかイラつく〜!!!こっちくんな!!! PMSの症状の完成です。 PMSは心と体が一致せず、苦しい状態です。 あなたが悪いのではなく、誰にでも起こり得る体と心の仕組みなのです。 PMSやPMDDは、治療ができる病気です。 りからーずにも、PMSやPMDDで苦しむ方が多く来られますが いずれも症状が良くなり つまり心と体が一致し、 毎月制御できないジェットコースターのような自分の心のハンドルを しっかり握り安定させる事ができています。 1人で悩まない事が大切です。

自分の欠点にありがとう。

受け入れがたい自分の欠点。 皆さんあると思います。 以前の私の最大の欠点は「だらしなさ」です😅 皆さんも私のこんな所がいや! 例えば 優柔不断だったり 引っ込み思案、口下手 人見知り 神経質 怖がり 怒りっぽい 飽きっぽい...etc 自分の欠点ばかりに目がいってしまうと自信がなくなって 自信がないと、何をするにも不安になって...。 周りにどう見られているのか怖くなって、疲れてしまう...。 そうして余計に上手くいかなくなって自信をなくす。 悪循環に陥ってしまいますね。 なんで私ってこうなんだろう? その「なんで」の部分! 深く考えた事はありますか? 実はこの欠点の多くは、自分を守る為にあるものなんです。 守るどころか、ものすごい困ってるんですけど!ね💦 でもよくよく考えてみて下さい。 例えば私の 「だらしなさ」 幼少の頃、私は両親に素直に甘えられない子供。 そもそも甘え方も分からない、そんな環境に置かれ 寂しさや不安 怒りや虚しさを持て余していたのです。 気持ちを受け止めて貰い満たされる事もなく、当然自分に自信もありませんでした。 持て余す感情をどう表現して良いか分からず 周りの大人を困らせてみたり、※病気になり心配を掛けさせてみたり。 (※ 例えばストレスで胃に穴が空く事がありますね。 胃 は消化の臓器です。 消化できない どうにもならない気持ちを貯め続け、限界に達した時に穴が空きます。 人の心は、臓器に穴を開ける程の力を持つ事もあるのです。) そうする中で私は、だらしなくて頼りない困った子になれば 大人は困った顔や呆れた顔をしながらも「しょうがない子だ」と甘えさせてくれる! 更に自分に自信がなかった私は、最初から「しょうがない子」でいれば これ以上ガッカリされたり傷付く事はない! 素直に甘える事のできなかった私は、どこかの場面で そういった手段で 持て余す感情の処理を学んだのでしょう。 素直に甘えたかった私の気持ち だらしなく頼りない私を無意識に演出する事で その場しのぎ感情を満たし 自分の立ち位置を確立しようとしてくれていたのが この「だらしなさ」です。 ただ、大人になった今 そういった手段でしか自分の感情を満たしたり 自分の立ち位置を確立するのは、とても非合理です。 「前はどうしても必要だった事だけれど、今の私には必要のない事」なんですね。 自信のない「しょうがない 困った子」でい続けていたら このお仕事はしていません。 小さな頃、生きていく上で苦し紛れに編み出した手段。 こうしようと決めた私との約束。 小さな私を守ってくれた、今大人になった私の欠点。 苦し紛れでも、あの時は自分を守ろうとしてくれていたものなのです。 それを、忌み嫌い こんなのなくなってしまえばいいのに!なんて 隅に隅に追いやろうとするのは可哀想ですよね。 「ありがとう」と言ってあげたい。 私を守ってくれてありがとう、 私の愛しい愛しい だらしなさ....(笑) そうすると、どんな自分も愛おしく感じます。 好きになってきます。 自分を好きになってくると、 じゃぁどうすればもっと私を幸せにしてあげられるだろう? そう思えるようになってくるんですね。 もっと私を喜ばせてあげるために 幸せになるために 新しく上書きされていくように その手段や 私との約束も少しずつ変わっていきます。 あなたの欠点はなんでしょう? あなたの欠点が守ってくれた私は、どんな私でしょう?😊

感情のコントロール

「感情のコントロールができないんです。 どうすればコントロールできますか?」 そういったご相談を受ける事がよくあります。 特に「怒り」の感情である場合が多いです。 (もちろん怒りだけではありませんが...) 暴走する感情をコントロールできずに、勢いのまま言動してしまい 自分の立場が危うくなったり、誰かを傷付け 自身も傷付き あとあとになって後悔し、もう二度と自分の感情に振り回されたくない...と感じる。 感情のコントロールができない時というのは 制御できない大きな感情の波が襲ってきて、心の防波堤を破り 溢れ出る気持ちを抑えることができない状態です。 溢れ出る気持ちを吐き出したところで、次から次へと新たな波が襲ってきて 結局何もかも壊しながら流し流されていくような、そんな感覚かもしれません。 感情のコントロールのテクニックは実はたくさんあります。 例えばアンガーマネジメント(訳すと、怒りの管理)という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるかと思います。 感情をコントロールさえできれば、 冷静な思考で落ち着いて考えることが出来たら うまくいくはずの大事な場面があって 感情のコントロールさえできれば、 自分にも誰かにも優しくなれて もっと幸せになれるかもしれなかったのに。 そう考える方にとっては、感情のコントロールをするというのはとても重要な事です。 でも、私はあえて小声で 感情はコントロールしようとしたら、うまくいかないのよ。 と、言いたいと思います。 もう一度いいます。 感情はコントロールしようしたら、うまくいきません。 コントロールしようと決意しなきゃ、コントロールの方法を学ばなきゃ変われない。 変われなきゃいい結果は生まれない! ごもっともだと思います。 変わる為には知識と意識(努力)が必要な場合もあります。 ただ ちょっと想像してみて下さい。 例えば、貴方が大切に思っているご主人や彼氏に浮気疑惑が持ちあがったとします。 当然、貴方はとっても怒っていますし 真実を知りたくて、問いただして責め立てたい気持ちでいっぱいになりますね。 それこそ感情のコントロールができず、彼にありとあらゆる罵倒を浴びせたとします。 そんな貴方に対し彼が 「そんなに取り乱してみっともない!感情のまま言動するお前の事なんかひとっつも好きになれないんだけど!!」 そう言ったとしたらどうでしょう? ショックどころではありません。 そんな事言ってほしくないですよね。 本当は 「不安にさせてごめんね。 大丈夫、大丈夫だよ。何も不安になるような事はないよ。 ちゃんと君を見ているよ。」 と、不安で苦しい気持ちがなくなるまで暖かく真剣に向き合って欲しいですよね。 何が言いたいかというと 「感情をコントロールしたい」と思っている自分が 苦しい 寂しい 悲しい 制御できない様々な気持ちを抱え、 そんな気持ちが溢れそうになり 時に溢れ出てしまうもう1人の自分に対し 「そんなに取り乱してみっともない!感情のまま言動するお前の事なんかひとっつも好きになれないんだけど!!」 そう罵倒していませんか? ということです。 心のどこかで 制御できない様々な気持ちを抱えるもう1人の自分を嫌い 消えてなくなればいいとすら思いながら 「まぁいいから落ち着けよ」 と冷静に言ったところで 果たして、もう1人の自分は素直に聞こうと思えるでしょうか? 辛い時、苦しい時 どうして欲しいでしょう。 辛い時、苦しい時にして欲しい事を あなたはあなた自身に愛をもってしてあげているでしょうか。 それはとても難しい事だと思います。 けれど 「感情をコントロールする」という名目の裏で 傷付いている自分をなかった事にするかのように 自分で自分を追い詰め罵倒し続けることは とても根深く心に突き刺さり なかなか抜く事のできない棘と傷を増やす事に繋がりかねないように感じる時があります。 様々な感情が溢れ出てしまう傷付いた自分と 人生をより良く生きるために冷静になろうとする自分とが お互いに心から励まし合い、手を取り合って支え合えたとき 本当の意味で「感情のコントロール」ができるのだと私は思います。

人の目が怖いとき

人の心の中には大きく分けると2つの自分があります。 「 こうあるべき自分 」と 「 本当の自分 」です。 しっかりしていて、我慢強くて 優しくて、賢くて いい人で、いい女で、いい母で、いい妻で そういう人に価値があって そんな風に見られたい。 それに、そうあるべきなんだ。 こうあるべきなんだ。という 「こうあるべき自分」 でも本当は 弱くて、怖がりで、傷つきやすくて 優しくもなくて、賢くもない 全然いい人じゃないし、いい女でもない いい母でも、いい妻でもない。 そんな自分を知っている。 そしてそんな自分が、大嫌い。 こんな自分を人に知られてはいけない。 「本当の自分」 人を信じられない、 信じてはいけない世界に生きてきて 愛されなくて、でも愛されたくて。 そう思えば思うほど、本当の自分が嫌いになる。 本当の自分を知られるのが怖くなる。 本当の自分は、みんなから認めてはもらえない。 本当の自分は、みんなから愛されない。 本当の自分が知られてしまったら、生きていけない。 必死で、必死で本当の自分を隠して 怖かった気持ちも、不安な気持ちも、怒りも悲しみも寂しさも 全部なかったことのようにして こうあるべき自分を一生懸命に作る。 こうあるべき自分を一生懸命に見せて 一生懸命に演じる。 こうあるべき自分は、いつ本当の自分が出てきやしないかと常に監視して ビクビクしながら、本当の自分を隅に隅に置いやる。 「私、こうあるべき自分として みんなから見てもらえてる?」 「私、本当の自分を上手に隠せてる?」 「本当の自分に気付かれてしまったんじゃないだろうか...?」 「怖い、怖い」 人の目が怖い。 人の目が怖いのは、本当の自分が大嫌いで そんな大嫌いな自分を、人に知られたくないから。 こうあるべき自分でいなければ、世間は受け入れてくれないと思うから。 弱くて、怖がりで、傷つきやすくて 優しくもなくて、賢くもない 全然いい人じゃないし、いい女でもない いい母でも、いい妻でもない。 そんな自分を知っている。 実はね、私もそう。 でも私は、そんな私をなかなかいいと思うんです。 だから、私はそんなあなたが大好きです。 きっとあなたが、もし 弱くて、怖がりで、傷つきやすくて 優しくもないし、賢くもない 全然いい人じゃないし、いい女でもない いい母でも、いい妻でもない。 そんな自分が、大嫌い。 そういう気持ちを持つ人と出会ったら、 「大丈夫、大丈夫だよ」って言ってあげたいと思うのではないでしょうか。 本当の自分を知られて、否定してくる人も中にはいるでしょう。 離れていく人もいるでしょう。 弱い自分は見せていけない、しっかりした自分にならなきゃいけないだろ?って。 人には絶対に優しくしなきゃいけないだろ、自分を犠牲にするのは当たり前だろ?って。 でもそんな「こうあるべき自分でいる事が正しい」と思う人ほどきっと 心の中で、一生懸命本当の自分を隠しているかもしれません。 どんなに強く見える人も、どんなに偉い人でも もしかしたら心のどこかで 本当の自分を知られる事に、怯えているかもしれません。 「大丈夫、大丈夫だよ」 自分自身にも 自分以外の世界にも 本当は誰もがそう言ってほしいと思っていて 自分自身にも 自分以外の世界にも 本当はそう言いたいときっと思っているのではないかと 私は思います。

だいじょうぶ。

毎日りからーずには、生き辛さや孤独 消えない不安や深い悲しみを抱えた方が来られます。 その苦しみや生き辛さは、あなたのせいでは決してありません。 人生の様々な過程の中で、心を削らなければ 心を犠牲にしなければ 生きていけなかったのです。 生きていくにはどうしても必要な事だったのです。 そうしなければ生きていけないと信じざるを得ない 環境や、両親からの無言の教育や圧力 そうしなければ生きていけないと信じざるを得ない 様々な 複雑な過程があったのです。 その苦しみや生き辛さは、あなたの責任ではありません。 しかしあなたには 幸せに生きる責任があります。 幸せに生きる権利があります。 ゆっくり ゆっくりいきましょうね。

人から気に入られたい。

「人から気に入られたい」と感じ、気がつくと顔色を伺ってしまう毎日。 とても疲れますね。 私も「気に入られたい」というようなこびりついた感情に縛られていた時期がありました。 今でも時々そう感じる事があります。 気に入られたいから、本当は嫌だけど我慢する。 気に入られたいから、楽しくないけど楽しいフリをする。 気に入られたいから、怒りを閉じ込める。 気に入られたいから、無理して頑張る。 自分勝手にはできないし...大人 だしね。 でも思い起こせば、子供の頃からそのような感情の中生きていたようにも思います。 「お母さんに愛されたいから、褒められたいから、いい子でいたい」 お母さんに見捨てられたくない。 お母さんに嫌われたくない。 愛されたい。 人の目を強く意識しながら生きている方は 「私はこう思う」「私はこうしたい」「私はこれが好きでこれが嫌い」 という感情はなんだかダブーのように感じ それよりも 「きっとこうすれば嫌われずに済む」 「きっとこうすれば私を気に入ってくれるはず」 という他人を基準とした生き方をします。 もちろん、お互いに嫌な思いをしない為の思いやりや 多少の我慢は必要ですから、決して悪い事ではありません。 ただそればかりだと、生きるのがとっても疲れてしまいますね。 なぜ疲れるのか というとまず 先ほど言ったように「私はこう思う」「私はこうしたい」「私はこれが好きでこれが嫌い」 というような自分を基準とした生き方というものがわからなくなります。 自分を基準にした生き方は何故だかダブーのように感じます。 私が私の意見や思いを伝える時 何にも悪くないはずなのに、なんとも言えない罪悪感が襲ってくるのです。 私が私でいる事が、なんだかいけない事のように感じてしまうのです。 「私」という存在がよく分からなくなってしまい 「私」という存在がいけないもののように感じて いつも自信がない いつも不安 いつも怖い。 そしていつも寂しい...。 そうすると余計に嫌われる事や孤独を恐れ 「気に入られるために」他人を基準とした生き方を強化させるという悪循環に陥ります。 次に、大体「気に入られるため」には我慢が必要になります。 意に沿わない事でも、傷付いたとしても 我慢していい子でいなければいけないのです。 無感情のまま我慢できる人はいません。 そこには必ず「怒り」が伴います。 我慢して我慢して、思ったような反応がないと尚更に怒りを感じます。 人に怒りを持ちつつ 人に気に入られたい。 そういった矛盾は心に大変な負荷をかけます。 心に沢山の怒りを持った方は、怒りを隠す事に一生懸命で ちぐはぐで不自然な言動に人は混乱し 結果、孤独に陥ってしまう方も少なくありません。 ここで1つお話しておきたいのは 「気に入られる事」と「愛される事」は違う という事です。 「私はこう思う」「私はこうしたい」「私はこれが好きでこれが嫌い」 私を基準とした生き方を、お互いに尊重し合える事を 「愛する」「愛される」というのだと、私は思うのです。 あなたはどう思い どう感じ どうしたくて あなたは何が好きで何が嫌いなのか あなたを基準にした生き方、あなたという存在は いつから なぜ タブーになってしまったのでしょう。 誰にとっての、タブーなのでしょう。 何も悪い事はないはずです。 それがあなたで あなたはあなたでいいはずなのです。 気に入られる事と愛される事は違うけど、 気に入られたくて生きる事に疲れてしまった時 本当は何より、愛される事 を求めているはずです。 愛されたいと願う時は、自分の基準 自分の存在を 自分自身が恐れず 大切に愛して欲しいと思います。

愛されたいという憎しみ

赤ちゃんは、ママのお腹の中にいた頃のように 暖かくて気持ちよくて 不安など一つもない しっかり守られて、全身で穏やかで優しい愛を感じていた瞬間をもう一度味わいたくて 必死で泣いて、ママのぬくもりを求めます。 赤ちゃんはお腹の中で無償の愛を知ってから、生まれてきます。 子供の頃、ママやパパに愛してほしくて お腹の中にいたあの時のように、穏やかで優しい愛を全身で味わっていたくて あの時のように、私という存在をしっかり受け止めてほしくて 一生懸命、わがままを言ったり 一生懸命、いい子でいたり 時には自分の心身をすり減らして ここにいるよと必死に叫びます。 声を枯らして泣いていた 赤ちゃんのように すり減らす事でしか、愛情を得られない事を知り 気付けば すり減らす事でしか愛情を感じる事ができなくなって すり減らし続ける事で、歪んでしまった私の形。 愛されたくて、 あの 穏やかで優しい愛を全身で感じていたくて 自分を削って削って こんなに頑張っても それでも愛してくれない世界なら 憎むしかないじゃない。 こんなに頑張ったのに報われないなら 私は私や世界を、憎む事でしか 私は救われないじゃない。 人はなんて尊く 愛おしい存在なんだろうと思うんです。 誰もが無償の愛を知り生まれ それを抱え、信じて生きています。 あなたが憎んだ自分や その世界は 信じる力に溢れています。 無償の愛を知っているからこその その力を 愛おしく感じて欲しいと思うんです。 あなたもあなたのその世界も、無償の愛に溢れています。

嫌われている気がするとき...

なんだか私、あの人に嫌われているような気がする...。 実際に嫌われているかどうかはハッキリ分からないけど、そんな気がする。 いや、きっと嫌われているはず。 そう思ってしまうと、何も手につかなくなって1日中考えてしまう。 「私、あの人に何かしたかな?」 「あの時のあの言い方がまずかったのかな?」 気分はどんよりと曇って、私って嫌われ者なんだわ...。 どうしていつもうまくいかないの? そんな風に悩んでしまう時がある方もいるかと思います。 人間関係がうまくいかないと、仕事にまで支障をきたしたり 家族に当たってみたり、趣味も楽しめなくなってしまったり。 でも、そんな方に 「貴方の価値観で最も重要で、生活の中で1番大事にしたい事はその方との関係なんですね。」 そう聞くと だいたいの方が否定します。 「生活の中で1番大事なのは家族との時間です。」 とか 「本当は1人でゆっくりくつろぐ時間が大切です。」 とか 「お金も大事」 「趣味の時間」 「彼氏とのデート」 「子供とのスキンシップ」 ・・・・・ 「その方との関係は何番目くらいに大事ですか?」 そう聞くと 3番目以下を答える方が多いです。 自分の価値観で最も重要で、1番大事にしたい事ってハッキリしているようで 意識していないと、実は曖昧だったりします。 本当は最も重要なものがあるのに 「嫌われたくない」「みんなによく思われていたい」 そういった強い思い 恐れや不安のある方は 「自分が本当は優先したいもの」よりも 「人からどう思われるか」を優先してしまいがちになります。 その背景にはそれぞれ様々な複雑な理由やメカニズムがあるので、今回は触れません。 でも、ここで覚えておいて頂きたいのは 「万人に好かれるのは不可能です。」 (言われなくても分かってる!って声が聞こえてきそうですが...💦) 例えば、感じのいい人に思われたくて いつもニコニコ明るく元気に振舞っていたとしましょう。 ある人からみたら 「愛想笑いばっかりして、ヘラヘラうるさい人ね!」 と思う方もいるかもしれません。 誰にでも優しく穏やかに振舞っていたとしましょう。 「みんなにいい顔して、八方美人だわ!」 と思う方もいるかもしれません。 大人しく余計な事は言わず従順にしていたとしましょう。 「ハッキリしない人!自分の意見がないのかしら?」 と思う方もいるかもしれません。 どう振る舞うかに正解はありません。 残念ながら、どう振る舞っても好かれる場合もあればよく思われない場合もありますね。 そこで思い出して頂きたいのが 「自分の価値観で最も重要で、1番大事にしたい事は何か。」 という事。 自分が大切にしたい 優先したい事の為に 自分はどうありたいか。 自分が1番大事にしたいものを大事にする為に 自分はどうありたいか です。 (大事な事なので二回言いました 笑) いつも基準は自分です☘

分かっているのにやめられない心理

分かっちゃいるけどやめられない~って事ありますね。 身近な例だと、タバコやお酒 甘いもの 過食 夜更かし 衝動買いなど。 皆さんも一度は経験があるかと思います。 私もダイエットは2日と続きません(笑) あの時食べたチョコの美味しさ...幸せ~な気持ちを思い出すとどうしても手が出てしまう...💦 カウンセリングにおいても、同じような壁にぶつかります。 例えば ・人と話す事に苦手意識と恐怖感がある。カウンセリングが進みその理由と原因はよく理解できたけど、いざ誰かと話そうとするとどうしても言葉に詰まる。 ・ある人が許せなくて辛い。なぜ許せないのか、なぜ辛いのか その理由と原因はよく理解できたけど、どうしても憎しみに支配されそうになる。 ・旦那に優しくできない。優しくできない理由と原因はよく理解できたけど、優しくしようするとどうしても抵抗感が湧いてきてしまう。 ・自分に自信がない。いつもネガティヴに考えてしまう。その理由と原因はよく理解できたけど、どうしても不安が拭えない。 「分かっているのにやめられない」 頭では理解できているつもりなのに、心がついてこない。体がついてこない。 そんな時に、最初の葛藤が生まれます。 これは当然の事です。 カウンセリングを受けている「今 現在の私」は、 一歩踏み出せなかった原理や 踏み出す事へのメリットを理解し納得していても 「あの時 傷付いた私」の心は納得できていないからです。 あの時...。例えばそれはもう子供の頃。 お母さんに愛される為には、いい子でいないといけなかった。失敗なんて許されない。 そう思っていたのに少しの言葉選びのミスでお母さんをガッカリさせた。 だからもう余計な事は言わない。 傷付いても悲しくても、健気に愛情を求めていたあの頃の私。 あの頃の私がずっと泣いているから、寂しがっているから あの頃の私が決めた事を、大事に大事に守らなきゃ。 例えばあの時...。あの人に酷く傷付けられた。 私の存在を否定されたかのようで、踏みにじられたようで、悲しかった。 傷付いた私がまだ泣いている。絶対に一生許さないって泣いているから あの頃の私が決めた事を、大事に大事に守らなきゃ。 例えばあの時...。男は裏切るものだと知った時。 父親だってそうだった、元カレだってそうだった。 求めて愛して 愛される為に優しくして、後で余計に傷付くくらいなら もう愛さない。愛されたくない。だから優しくなんてしない方がいい。 傷付き怯えて何も信じられなくなったあの頃の私がまだ震えているから あの頃の私が決めた事を、大事に大事に守らなきゃ。 あの頃の私を癒したくて、なんとかしてあげたくて 大事に大事に守ってきたんです。 「今の私」が納得したところで「あの頃の私」を見捨てる事なんてできませんよね。 あるいは 守りたくなんかないはずなのに 心や体が無意識に守ってしまっている自分との約束もあるかもしれません。 あの頃の 傷付いた私 悲しかった私 寂しかった私 惨めだった私 愛されたかった私 一生懸命に癒してあげたくて、苦しんできたんです。 ただ、そのやり方が分からなくて不器用で どうしていいか分からなくなってしまっているんですね。 カウンセリングでも、する事は同じです。 あの頃の私を守って癒して、もう泣かないように もう寂しい想いはしないように。 分かっているけどやめられない ではなく、あの頃の私を 分かってあげて正しく守る。 心の中で泣いている 怯えているあの頃の私はなんですか? そっと聞いてみてください😊

子育てに正解はないの?

「子育てに正解はない」 よく聞く言葉ですね。 子育てには正解はないんだから、焦ることないよ。 子育てに正解はないんだから、自信を持って! 私自身もよく言われてきた言葉です。 でも本当にそう? 私の子育て、これでいいんだろうか....。 育て方、間違ったのかな...。 皆さん一度は不安に思う事があるかと思います。 あくまで「持論」ですが 私の中に子育ての正解はあります。 それは お母さんのこころ中心の子育て。 これが私の中では、正解です。 いやいや! 私の心中心って、じゃぁ怒りに赴くまま子供を叱ってもいいの!? 母親になったからには、自分の気持ちよりも子供を優先しなきゃいけませんよね?? そう思う方もいるかと思います。 では 子育てに自信がない。 思うように育児できない。 子育てが辛い。 そんなお母さんたちはなぜ、子育てが辛いのでしょうか? ・子供にイライラしてしまって、優しくなれない。 こんな母親で子供に申し訳ない...。 よく聞くお悩みです。 子供にイライラし、感情のまま怒鳴り散らしている時 お母さんの心には制御できない「怒り」の感情があります。 何らかの怒りに支配されている瞬間です。 この時点で「辛さ」はまだ影を潜めています。 一通り怒鳴って「怒り」を吐き出した後にやってくる感情がありますね。 ◯私って本当に駄目な母親だ。 ◯私のような親に育てられてる子供が可哀想で申し訳ない。 この時にお母さんの心には制御できない「辛さ」が初めてやってきます。 その積み重ねが続き、子育ての何もかもが辛い方もいます。 子供が可哀想で...。 子供に申し訳なくて...。 私の心が、私はダメな母親だと判断し 私は自信をみるみる失っていき 私には価値がないようで 「辛い」 子育てが辛い=私がダメな人間のようで辛い。 子育てが辛い=自分に自信がなくて辛い。 子育てが辛い=私には価値がないようで辛い。 子育てが辛いのではなく、 お母さんが 私はダメで自信がなくて価値がないようで「辛い」と 心が悲鳴をあげているんですね。 子供のために 子供のために そう思って頑張ってきた事はなんでしょう? 私は我慢しなきゃ。 いい母親にならなきゃ。 ちゃんと躾けて教育しなきゃ。 子供を笑顔に幸せにしてあげなきゃ。 それができたら... 私はいい母親だと思える。 自分に自信が持てる。 私には価値があると思える。 子供のためにと思っている裏側には必ず お母さん自身の心の安心を求める気持ちがあります。 子供のためにと一生懸命我慢しても、子供はなかなか一筋縄ではいきません。 どうしても満たされないお母さんの心を、子供に当たってしまう悪循環に陥ったり 何もやる気が起きないくらい疲れてしまうなら 先回りして、「子供の為」の前に 「私の為」に どうしたら自分が楽なのか? どうしたら自分を許せるか? どうしたら自分を守れるか? どうしたら自分を大切にできるか? 考えてみる。 それが お母さんのこころ中心の子育てです。 例えば、心も体もすごく疲れた日 もう夕飯作りたくないって時ありますよね。 今日はもうレトルトでいいかな...って思う日。 子供見ながらイライラして料理や片付けするよりも、レトルトにしてゆっくりした方がきっと私は優しく元気に過ごせる。 だから、私の為に 今日はレトルトでいいかな。 でも... レトルトって愛情がないような気がして、罪悪感に押しつぶされそう...。 自信を失いそうだし、 頑張って作った方が元気に過ごせる。 だから、私の為に 今日も作るかな。 子供のためではなく、どちらの方が「私のため」になるのか考えて選択してみる。 毎日の育児にウンザリして疲れちゃって テレビに子守りしてもらって、ちょっとお昼寝してもいいじゃない。 「ありがとう、ママゆっくり休めたよ」っていって 休んだ事により、いつもより少し子供に優しくできるならそれでいい。 テレビに子守りさせて罪悪感に押しつぶされそうで、ごめんねダメなママで...って辛くなっちゃいそうな時は 頑張って子供と遊んでみる。 そうしていて どうしても疲れてイライラしちゃうなら、 やっぱりちょっと休んだ方が私の為だわって思った時に、休めばいい。 子供を思うあまり、お母さんの心をないがしろにしていませんか? 子供の心を大切にしたいと思う時は、自分の心も同じように大切に思ってください😌

自分を知る事で何が変わるの?

「自分がよく分からない」「自分をうまくコントロールできない」 という方が、自分を知ると どういう変化が起こるのでしょう? 私が自分を知る工程のカウンセリングを行う時に、よく例えるのが車の運転です。 自分がよく分からない...という方は今まで ・旧型のナビを頼ってみたり ・周りの景色に圧倒され、知らない景色に不安になったり ・急に現れる障害物にドキドキしたり ・もう運転するのも怖くて、エンジンを止めてため息をついていたり ・自動運転モードにしてみたら、車酔いしちゃったり ・あるいはもう何度も事故を起こしてしまっていたり...。 運転手は自分なのに、自分以外の対象(ナビ・周りの景色・障害物 など)に振り回されてしまっている状態です。 運転はいつも恐々ドキドキ、すっごく疲れちゃう。 「だけど...いきなり障害物があるとぶつかっちゃう!ってパニックになるし 落ち着いてなんていられません!!」 「急に何かが飛び出してくるかもしれないし、周りはしっかり見ておかないといけませんよね!?」 おっしゃる通りです。 人の心は、不安や恐怖を感じた時 暴れ馬のように制御できなくなる事がありますね。 事故を起こしたらどうしよう! 日常生活や人間関係のストレスでいうなら 失敗したらどうしよう、嫌われたらどうしよう...! 予想のつかない未来に、心は右往左往揺さぶられ時にパニックを引き起こします。 しかし車は暴れ馬ではありません。 マイカーの性能を知り、しっかりハンドルを握り、コントロールする技術を身につけ走行さえすれば、避けられる事故もあります。 ・馬力はどのくらいあるのか? ・ブレーキの効きはどうか? ・どんな機能があって、どう活かせば安全か? ・どんな運転をすれば省エネか? ・視界はどうか? ・どんな道なら得意で、どんな道なら注意が必要? ・車幅はどのくらい? などなど。 運転手の不安定な心を、車の性能を知る事でカバーするのです。 自分を知る という事は 車の性能を知る事と同じです。 制御できない不安定な心のハンドルをしっかり握り ・私は、こういう場面は得意だがこういう場面が苦手。 ・ブレーキの効きが甘くどこまでも突っ走ってしまう傾向がある。 ・ある部分の視野が狭まる傾向があるから、注意してみよう。 ・疲れやすい傾向があるから、今は少し省エネしてペースを落とした方がいいかもしれない。 などなど。 自分を知る事で、冷静な心がうまれ 安全の選択肢が広がります。 自分以外の何かに心を振り回され、疲れ果て 自分がどんな道を歩き、目的地はどこなのか 見えなくなってしまうよりも 本当の自分はどんな特徴を持っているのかを見定めた上で 自分らしい道を選び歩んだ方が、より良い目的地にたどり着けるのではないかと思います😌

悩みの答え

カウンセリングには様々な立場の方が来られます。 「ママ」と呼ばれる方、「おばあちゃん」と呼ばれる方 「先生」と呼ばれる方、「上司」「部下」と呼ばれる方 どんな立場の方も 「どうしたらいいか分からなくて...。」 と言って来られます。 中には「別のカウンセリングに通っていた事もあるけれど、話を聞いてくれるだけで結局 "どうすればいいのか" 分からなかった。」 そうおっしゃる方もいます。 真っ暗闇の中 あと一歩先に落とし穴があるかもしれない。 得体の知れない魔物がこちらを虎視眈々と見つめているかもしれない。 もう既に、歩き方を忘れてしまった。 とても足が痛いし、怪我をしていると思う...。 この暗闇の先に何があるのでしょう? 一緒に暗闇を歩く事はできても この先に何があるのか、ご本人にも 残念ながらカウンセラーにもそれは分かりません。 分からないから不安だし、怖いし、悩むのですね。 不安に答えはないのです。 今まで恐る恐るでも 歩いて あるいは這ってきた道のりや 答えや結果を出す為に一生懸命悩んだ事 考えた事、もがいた事、苦しんだ事 どんな後ろめたい事 惨めな事 傷付いた事 腹立たしかった事 考え悩んで、心の容量を大きく超え膨らんだ気持ちの数々。 容量を大きく超えて膨らんでいた心から、一つずつ優しく丁寧に苦しみや痛みを取り除いていった時、 暖かい大きな心のスペースと柔軟性が残っている事に気がつく時がきます。 考え悩む分だけ、心は大きく柔らかく広がる可能性を持ちます。 その暖かい広がりと柔軟性を持つ心を知った時 「どうすればいいのか」 自ずと答えが見えてくると思います。

「食」と「心」

「食は体の基本」「栄養のある食事を」 よく聞く言葉です。 栄養のある食事を摂る事が体にいい事は誰でも知っていますね。 私は栄養士ではありませんし、栄養学を学んでいるわけではありませんので カウンセリングやリフレクソロジーの場で、栄養指導を行う事はありません。 私自身、栄養を考えて食事をしているか?と問われると 全くもってそんな事はありません💦 でも、食 がいかに人の「心」に大切かは カウンセラーとして、思い知らされる事があります。 大昔の人々は、狩りで得た獲物を分け合い食を共にする事で仲間意識を高めていきました。 狩りで得た同じ獲物 その命を、分け合うという事は 同じ命を体に取り入れ、同じ命の力を借り、同じ命に生かされるという事です。 食事を共にし、命を共有する事で、結束力や安心感が生まれるのです。 「食の恨みは怖い」とよく言いますね。 本来、命を共有し共に生きましょうという場において 自分勝手に独り占めされたと感じると 本能的に「共に生きる事を拒否された」ような気持ちになり、 長く引きずる恨み辛みに変わるのかもしれません😖 皆さんも経験があるかと思いますが、とってもイライラしてたはずなのに 美味しいものをお腹いっぱい食べたらすっかりご機嫌🎶 喧嘩の後は、パートナーの好きなスイーツの力を借りて仲直り...💓 人は満腹を感じると、セロトニンという幸せホルモンを分泌しますが 心が安定する理由はそれだけではなく、何かの命を自らに取り入れる事で 「一人じゃない」という安心感が生まれる為ではないかと、私は思います。 一概には言えませんが、摂食障害に悩まれている方も 過食の方は、孤独感が強く「もっと誰かと繋がりたい」という想い。 拒食の方は、自分や他者への不信から 受け入れたり繋がる事に抵抗がある。 そんな心の背景がみえる事もあるかもしれません。 命を分け合い、命を共有し、命に生かされる。 そんな意味を持つ「食事」は心にとって とても重要な要素であると私は感じています。

気持ちのキャッチボール

言葉のキャッチボール という言い方はよく聞きますね。 キャッチボールは相手が取りやすいよう、投げないと続きません。 「相手が返しやすいような言葉を考え、投げかける。」 それが言葉のキャッチボールのコツかと思います😌 でも心が満たされるコミュニケーションに欠かせないのは 「気持ちのキャッチボール」の方 ではないかと思います。 コミュニケーションの本質は 気持ち にあるのです。 例えば 友達との会話が弾み、大笑い🤣 ひとしきり笑った後 「あなたと居るとホント "楽しい!!"」 そう言われたらどうでしょう✨ お友達は、あなたとお話して今 とっても「楽しい気持ち」になった と伝えてくれたら 会話が弾んだ事よりも、その一言の方がズンッと心に響きませんか? あ~よかった、嬉しいなぁ!って 心が暖かくなるような、満足感が広がるのではないかと思います。 あるいは、大切な人との喧嘩の場合👊 大概の喧嘩は「(自分の気持ちを)分かってほしい!!」 という事から始まりますが、 実はその1番大事な(自分の気持ち)が、置いてきぼりになっているケースが多いのです。 酷い事をされた 言われたりして 「どうしてそんな事するの!?」 「私ばっかり我慢してる!!」 怒りの気持ちをぶつけ、相手を責めます。 一通り怒った後になって、 その怒りの裏にある、酷い事をされたり 言われて 「傷付いた自分の気持ち」「悲しい気持ち」に気付き、 ジワジワと心の痛みとなって残ってしまう。 なんて事もあるかもしれません。 自分の本当の気持ちを置いてきぼりにしないで、素直に心に耳を傾け 伝えた方が 自分にも相手にもズンッと心に響くかもしれませんね😊 私は今どんな気持ち? あなたは今どんな気持ち? 素直に「気持ちのキャッチボール」ができた時が 心が通じ合う瞬間なのかなぁと思います🍀

目に見えない気持ち

目に見える評価でないと意味がないと考える方もいるかと思います。 目に見える評価とは例えば テストの点数だったり、売り上げや年収だったり 恋人からのプレゼントの値段 1日に来る友人からのメールの数 SNSでの「いいね!」の数 認められた 褒められた と分かりやすく感じられる「目に見えた評価」は人を安心させます。 目に見える評価の先には何があるのでしょうか? それは紛れもなく 「目には見えないけど自分にとって、とても大切なもの」です。 誰かに大切にされたという安心感だったり 認められたという優越感だったり 充足感や達成感。 目に見える先にある 目に見えないものの方が、 実は意味のある事なんですよね。 だけど、目に見えないものに人は不安を感じます。 例えば他人の気持ちは目には見えないから 愛や友情などの図ることの難しい人間関係において あの人は私の事をどう思っているのだろう?と考えずにはいられません。 正しさも目には見えないから、後の結果や評価を注意深く見守り 自分は果たして正しい事をしたのだろうかと、確認せずにはいられません。 なので、どうしても 目には見えない 自分が本当に求めている大切な気持ちよりも 目に見えた評価だけを追いがちになります。 そして目に見えた評価が得られないと、苛立ちや焦り 虚しさを感じます。 その苦しい気持ちは、 目に見えた評価が得られない苦しみではなく その先にある目に見えない大切な気持ちを満たしたいんだという思いです。 その思いと丁寧に 正直に向き合ってみた時 気付く事が何かあるのではないかなあと思います。

目前の火を消す勇気

様々な情報がクリック一つで出てくる今の時代、 簡単に知りたい情報が入手でき とても効率よく便利な一方で 溢れる情報に惑わされる方が大変多いように感じます。 育児をしていると誰しも、子供の成長や発達に悩む事があります。 私もそうです。 3人の息子にはそれぞれアレルギーやアトピー、発達の問題やその他持病もあり 様々な先生方や専門家に相談してみたり いいと言われ、改善する可能性がありそうな事は試したい。 それはまるで、解決という名の出口を探して焦り 暗闇の中、ロウソクの灯をあちらこちらにかかげ 照らし歩いているような気分でした。 灯を照らす先々で 「○○してはいけない」 「いや、本当は△△がいい」 例えていうなら子供の発達において 「子供を信じて自立を促すのが良い」 という方もいれば 「甘えさせる事が大切だ」 という方もいるように、様々な情報に惑わされ 一体、何が正しいのか どこが出口なのか、全く見当もつかなくなり 途方に暮れた事も多くあります。 不安に駆られて、それなりの灯を持ってウロウロウロウロ。 それは表向き、この子の為にする努力。 でも本当は、それはただの免罪符であり 何もしないで暗闇の中「ただそこにいる」という事が不安で恐ろしいばかりに 僅かな灯りを頼りにうろついていたに過ぎないのかもしれません。 本当に大切なのは 場当たり的な灯を 一旦消す勇気なのだと思います。 闇の中で、落ち着いて目を凝らしてみる。 そしてただそこにいる事で、暗闇だと思っていたなかに ぼーっと光が見えてくる時があります。 本当に自分の子供が望んでいるのは、どのようなことなのか? 勇気を出して灯を消す事により 出口は遠くても、うっすらとその方向くらいは分かる事もあるかもしれませんね。

信念とわがまま

人それぞれ、価値観は違います。 価値観とはひらめき電球 生きる上で自分にとって何が大切で 何が正しいのか、それらの優先位置づけの事です。 自分の利益を第一優先に考える方もいます。 他者との調和や平和を維持する事を優先に考える方もいます。 愛する人を守り幸せにする事を優先する方もいます。 それらの価値観に従い、それらの価値観に基づいた言動を貫く事 それを「信念」と呼びます。 価値観はみな、時代や経験により移り変わるもの。 学び成長し、価値観を変え広げ、より良い人間となろうとする事は素晴らしい事です。 反面、自分の価値観を信じ貫き通す言動「信念」は、揺るぎないものでなければなりません。 人は時に、自分の価値観にそぐわない人間を批判しがちですが 価値観に基づき、貫く言動の先「信念」の先に その人自身に一切の後悔がなければ 誰にも批判する権利はありません。 しかし、信念の先に後悔があった場合 それは信念ではなく「わがまま」になってしまうのです。 自分の価値観を信念に変える前に たくさん迷って悩んで、いいんです。 それはとてもとても、辛い事かもしれません。 大切な貴方の価値観が、わがままに変わらぬよう そしていつか「信念」と胸をはって呼べる心の宝を見つけることができるよう。

想像力を活かそう。

大概の悩みは想像力から生まれます。 想像通りに事が運ばず苛立ったり うまくいかずに失敗する自分を想像し不安になったり 不幸な未来を想像し悲観したり。 悩み多い時期、深く悩んでいる時は 想像する力や感性が研ぎ澄まされている時期とも言えます。 感性を研ぎ澄ませ想像を働かせるには、集中力が必要です。 大概の方は悩んでいる時、自分の内なる負の感情に集中し それを基盤としながら想像力を働かせてしまうのです。 感性を研ぎ澄ませ、想像力が高まっている悩み多き時期に 自分の負の感情にだけ集中してしまうのは とても勿体無い事です。 想像力というのは、悩み以外にも様々なものを生み出します。 例えば「思いやり」 誰かが苦しんでいる時。 その苦しみを想像し 自分だったらどうして欲しいか... なんて声をかけて欲しいか.... その想像が「思いやり」です。 自分の負の感情に集中し、想像力を働かせる事。 それと同時に 研ぎ澄まされた感性で 誰かの想いを想像し 思いやる気持ちを働かせる事。 悩み多き時期というのは、どちらも同じ程 深く想像する事が出来る時期でもあるのです。 悩んでいる時は、感性が研ぎ澄まされている時期なのだという事にまず気付く事が大切です。 嫌な想像に縛られ悩んでいる時は、なぜ今 想像する力が高まっているのか。 そして、より良い想像を働かせ この感性を生かす為にはどうしたらいいか。 そう考えて少し見方を変えてみたら、ピンチはチャンスに変わるのではないのでしょうか😊

心の中の球体

人の魂は、貝の中にある真珠のように 美しい球体である と言われています。 命の源...卵や種 そして月や地球などの星々が丸いように 人の基本もまた、球体なのです。 月が欠け、昼夜が入れ替わり、四季が巡るように 球体は角度によって様々な印象を与えます。 それと同じように、人もまた 角度によって様々な印象を与え、様々な顔を持っているはずです。 しかし多くの人は、一つの顔だけを ある一面だけを見て 「この人はこういう人だ」 と決めつけがちです。 特に嫌な印象を1度持った人に対しては、その傾向が強くなります。 人の心はとても弱いものです。 誰もが、嫌な思いや苦しい思いはしたくありませんし 自分を守る為に、心に蓋をしたり 或は誰かを傷付けたり 誰かから何かから 逃げたりもします。 自身の心を守る為の壁は 「先入観と思い込み」です。 例えば、 過去に1度でも人前で上手く話せず 恥ずかしく惨めな思いを経験をした事のある方は 話す事への恐怖感から 「私は話すのが苦手」だと思い込み決めつけて、引っ込み思案な性格を自ら形成し 話す機会を減らそうとしたりします。 「私はこういう人間だから」 「あの人はこういう人間だから」 そう思い込んだり先入観を持つ事により 自分を守る為のはずの壁が 本当はそうではなかった自分の一面 本当はそうではなかった相手の一面 それらを知る機会を失わせてしまい 自分を窮屈に縛り付けてしまう場合もあるのです。 人々は皆、球体であり 見る角度により様々な表情、様々な可能性を持っています。 自分の性格や価値観は、思い込みや先入観により形成されていないか。 時々、確認してみることが大切かと思います🍀