学生時代
兄の影響もあり幼稚園の頃からバスケット一筋だった私は高校で憧れだった能代工業高校に入学しました。
親元を離れ、毎日厳しい練習に耐え能代で三年間下宿生活をしました。
その中で先輩に対する礼儀と後輩に対する先輩としてのプライドを学びました。
しかし、二年生の秋に膝内側側復靱帯断裂をして約半年間バスケットができない苦しい日々が続きました。体が思うように動かない苛立ちと、チームに貢献できない悔しさは今でも忘れません。三年生の時にはインターハイ、国体で全国優勝を経験し、毎日充実した日々を仲間と過ごせたことは今では大切な思い出です。
その後、小さい頃からケガが多くその度に整骨院に通っていたことから、自分と同じように痛みに悩む患者さんの気持ちに寄り添いたいという想いを胸に仙台にある専門学校に入学しました。
高校時代はバスケットばかりしていたので勉強なんてほとんどしたことがありませんでしたが、三年間死ぬ気で勉強して国家試験に合格し治療家として歩み始めました。