居酒屋 ほりかわ

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カワハギすっぽん金目鯛 居酒屋ほりかわ

チョこっとだけほりかわの歴史

 創業51年突入。志半ばで借金の連帯保証人や都市開発計画による撤退。食中毒問題。社員さんが
全員辞めてしまうなど七転八倒を繰り返し廃業の
危機を何度も乗り越えながらたくさんの方に支えられおかげで今日を迎えることができました。
 そして遂に名物である
「かわはぎ10000枚!
累計入場者数60万人」
を突破。

マスターとハッちゃんて誰?

今から50年以上も前に、新潟女池出身で一流ホテルの洋食の料理人をしていたひげのマスターと浜松小松出身のハッちゃんが力をあわせて、誰がやっても続かない、といわれた場所で全くジャンルが異なる居酒屋に勇気をだして挑戦したのがほりかわの歴史の記念すべき第一歩です。ハッちゃんは亡くなってしまいましたが、ハッちゃんの想いは色んな所にちりばめられていて、ハッちゃんの魂は引き継いでいるつもりです。マスターは1972年の札幌オリンピックの選手村の料理人に選ばれるほどの腕の立つ人で、いまだに健在です。相変わらず丁寧な仕事と情熱でお店を支えてくれています。ビールが大好きで趣味は
もっぱらギャンブルです。

はじめまして

こんにちは。たまに「目がきれいですね」と言われる二代目店長のほりかわです。私はやさしい顔はしていませんが、これはこれで良いことがありまして。周りと同じように普通に接しているのに、そのギャップから「何てやさしいんだ!」とか。ちょっと笑ったら、めったに笑わないもんだから「笑顔がステキですね」とか。なんか勝手に素敵な勘違いをしてくれるので得してます。当店は1973年の10月にオープンしましたのでおかげさまで51年以上が経ちます。決して楽な道のりではなかったですが、多くの温かい方に支えられ、奇跡の連続に感謝しかありません。これからも人だからこそ生み出せる高い価値を提供し「面白いお店ですね」と、言われるのをひとつのゴールとして目指して参ります。少しだけ私やお店のことを紹介しますのでお付き合いください。

二代目は何故お店を継いだのか?

私がこどもの頃はお店のある周辺にはデパートがいっぱいありました。ニチイや西武、松菱、丸井など・・赤電に揺られ、街に繰り出し、デパートの屋上にあるゲームセンター巡りでした。お金が尽きれば両親のお店に顔を出し、うまいこといって小遣いをもらい、またゲームセンターの繰り返し。あらゆるエンタメが街に集中していましたので、駅前、街なかは憧れの存在でした。親戚のおじちゃんとおばちゃんが浜松まつりやなにかある度に、ほりかわに私の兄妹や従妹たちみんなを連れてってくれたんです。その時のほりかわの印象は、人でごった返していて、笑い声や話し声が飛び交い、ときには酔っ払いが水槽に手を突っ込んで管まいたりと。とにかくおもしろ可笑しく活気に満ち溢れていました。お土産でお店でつくったものを持ってきてくれるのですが、カニクリームコロッケや鶏の唐揚げ。サラダにかかっている手作りのドレッシングも全部美味しくて大好きでした。そんな華やかさの裏には影もあって、両親は深夜遅く自宅に帰ってきては人のことで悩んでいました。愛情いっぱいに育てられたのでこども心に、大きくなったらなんとか力になってあげたいという感情が沸いたことを昨日のことのように思い出します。勉強のためやマスターの仲間のお店を応援する意味もあったと思いますが、いろいろな外食に連れてってもらいました。毎回両親の休みの日は「どんなところに出かけるのだろう」とわくわくしていました。亡くなったハッちゃんが
こどもの私に「あんたの味覚は天才だ」と言ったことがありました。とくにテストを受けたわけでもなく、根拠があったわけでもないんですが、修行時代もそんなひと言が自分を奮い立たせ背中を力強く押してくれてしんどいことも乗り越えられたと思います。料理の奥深いのは同じ材料、同じレシピでやっても十人いたら十通りの料理ができるところです。怒りの感情で作れば味に角が立ったり、心が整った状態で作れば味がまろやかにやさしくなったり。その深さに魅了されました。板場は実力社会なので年齢を問わず、先に働いてる方が先輩となります。悔しい思いもたくさんしましたが、修行のスタートが遅かったため、人が3年かけるところを私は1年で身に着けようと必死でしたので、そんなことに引っ張られることも割りと少なかったと思います。色んなことを勉強させてもらいました。いつもめちゃくちゃ不機嫌で眉間にしわを寄せてる料理長の時は、それまで普通にニコニコしてた仲間が、その人が板場に現れただけであろうことか顔面蒼白になったり、吐き気や、めまいがしてぶっ倒れて病院に運ばれたり。今思えば鍛えられましたし、自分人生の映画という物語りに間違いなく彩りを添えてくださったなぁと思えるようになれました。ただ、修行して帰ってきた頃の自分は生意気でしたね。ちょっと十年足らず他店に浸かっただけで、さも自分の考えがすべて正しいみたいな思い上がりで、マスターとぶつかっていました。経験もお客さんのことも、トライして失敗した数も、マスターはすべてを網羅しているにも関わらず。当時の自分が目の前に現れたらほんとにぶん殴ってやりたいくらいです。創業や起業するにはゼロからイチを生み出すのに相当なエネルギーを要しますが、二代目は最初からお店、いわゆるハコがあり。黄金のレシピがあり、応援客も持っていて、一生懸命に働いてくださるスタッフさんもいる。パートナーである業者さんとも信頼関係がある。なんせあらゆる資源がありました。本当に恵まれています。誰と出会うかは結構でかいと思います。私はたまたま、ほりかわで働くキラキラした大人の背中をたくさん見たからこの道に進んだのかもしれません。

ほりかわのお刺し身が美味しいのはなぜ?

刺し身を作るためにはまず魚を選び、刃渡りの長い鋭利な柳包丁を用意し、そして一気に引いて切ることでなめらかな切り口となり、口に入れた時により旨みを感じられます。刃を上から押したり往復させたりして切ると切り口の細胞が潰されてエキス分が押し出されるので口当たりも悪くなります。魚は水の浮力に頼っているために陸上動物のような自分の身体を支えたり歩行したりするための強い皮膚や筋肉、腱(筋肉と骨を結びつけるすじ)がいらないので、そのためコラーゲン(すじや皮膚や筋肉を包む膜は主としてコラーゲンで出来ている)が少なく身の軟らかいカツオなどは厚めに切り、ややねっとりした口触りを。コラーゲンが比較的多い身の硬いカワハギやヒラメは薄く切り、コリコリした口触りを味わってもらいます。しめ鯖は、予め塩を振り、ついで酢じめすることで、なまぐさい臭いを中和して消すと同時にタンパク質の変性(酢につけ白くなる現象)によって歯切れをよくしています。盛りつけにも経験や技術や感性を駆使して彩りや、美しく口の中をリフレッシュさせるように「けん」(大根のツマ、辛味)が添えられて日本人の美意識を表現しようと日々邁進しています。気候の温暖化で水温が上昇し、今までは寒い地域で獲れなかった魚が水揚げされたり、環境が変化や乱獲などで魚自体とても貴重な存在です。絶滅危惧種になりつつあるなかで命の尊さに感謝し骨までほぼほぼ食べつくしています。

なぜほりかわが魚にこだわっているのか

かつて、町の一角には魚屋が軒を連ね、新鮮な魚を提供していました。しかし、時代の 流れとともにスーパーマーケットが台頭し、効率と低価格を追求する中で、多くの魚屋 は姿を消していきました。町の人々はスーパーで魚を買うようになり、魚屋の暖簾は下 ろされ、かつての賑わいは消えてしまいました。
スーパーは大量集中仕入れでコストを徹底的に下げ、セルフサービスによって効率 性を上げ、店舗作業を徹底的に標準化し、商品を安く提供するという仕組みになっています。
鮮魚に関しては食べやすい切り身にしてからパックして人手をかけないように売場に置きっぱなし。売れ残るかもしれない魚を仕入れることができ ないため、例えばサバやイワシ、サンマなどいつも同じ魚しか並ばず、いつしか消費者の魚を 買う楽しみが無くなっていきました。
鮪を買いに行ったけど店主から「今日はカワハギがいいんだよ」なんて教えてもらい新しい世界へ誘ってくれる体験もできなくなりました。
大型スーパーの成長は実は、ロス率のリスクが高いため、魚の値段は割高になり、品揃えに変化がな く、顧客一人一人のニーズにまで手が回らなくなり、魚離れや魚が売れなくなったり、お客様の支持を失っていくことを助長する結果を招いたかもしれません。
「日本人の魚離れ・・・」もよく耳にします。戦国武将がカツオを好んだ、家康がタイの天ぷらを食べた、平賀源内とウナギ、魯山人がマグロなど。著名人が魚を食べた話しがあるもんだから、「昔の人は魚をよく食べていた」ように錯覚しているのか。
養殖技術や冷蔵輸送の向上、漁法の進歩で今は昔に比べ各段に魚を消費できる土壌はあるし、ファミリー層の外食は焼肉屋より回転ずしが人気で身近にあります。
ま、一つ言えるのは家で大型の鮪を一本買いして捌いたりするのは容易ではないですし、金目鯛をまるごと炊いたり天ぷらをカリッと揚げる調理をしなくなりました。日本の歴史上最もたやすく魚を食べられているこの時代なのに「魚調理離れ」はもっとも進んでるみたいです。
カルシウムやミネラルが豊富で「肉より魚」と諸説ありますが、魚を食べていても長寿の人も短命者もいます。偏りすぎず、ほど良いバランスの取れた食事のひとつとして当店が適度に魚を食べていただけるキッカケに。
魚の頭や骨まで食べている人は微量のカルシウムを摂取できますが、その丁寧な感謝する生き方こそが精神的な安定をもたらせて心をつくり長生きの助けになっているのではと思います。
私たちは文化を担いフードロスに繋がるとの想いで骨までほぼほぼ食べつくし、ひとつひとつの尊い命に感謝し、我々が鍛錬してきた技術でうまい魚を食べることを通して楽しい魚世界の喜びを味わっていただきたいと思っています

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Country or region: Japan