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寒天の歴史
- 1685年
山城国(現在の京都府南部)において、旅館『美濃屋』の主人・美濃太郎左衛門が、日の経た乾物を発見しました。その乾物は、ある日戸外に捨てたトコロテンが、夜間に凍結、日中に溶解を繰り返したものでした。 これでつくったトコロテンを黄檗山萬福寺を開創した隠元禅師に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると強く勧められました。
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名前が決まったてないことを聞いた隠元禅師は、「寒空」や「冬の空」を意味する漢語の寒天に寒晒心太(かんざらしところてん)の意味を込めて、寒天と命名しました。
- 1798年
摂津国島上郡原村字城山(現在の大阪府高槻市原)の宮田半兵衛が製法を改良して寒天製造を広めます。寒暖差の大きい島上郡・島下郡・能勢郡の18ヶ村による北摂三郡寒天株仲間が結成され、農閑期の余業として寒天製造が行わました。