「学習」とは、教わったことを単に覚えるだけのものではありません。基本的な知識をもとに、自ら考え、発展させて理解を深めることに意味があります。小学校や中学校では、それほど高度な事柄を教えるわけではないため、記憶力だけで乗り切れることも多いと思います。しかし、高校生になって難しい問題を解き、大学生になって自己の将来の進路を見据えた勉強をしようとしたとき、記憶力だけでは対応できません。記憶力が天才的に長けているのでない限り、理解力・思考力でカバーしていかなけ ればならなくなります。
 また、私は大学法学部と法科大学院での学習を終え、今年司法試験に合格しましたが、その過程のなかで、社会で必要とされている人間は、自分で考えることのできる人間であると実感しました。私の周りでも、考える力があると感じる人間が合格しています。覚えるだけなら、現代では機械で充分なのです。
 考えることのできる人間になるためには、積極的な気持ちで学習をする必要があります。学びたい、という積極的な気持ちがなければ、考えることを放棄してしまうからです。受け身の勉強、すなわち「教えてもらったことだけ覚える」ということを重視しても、そのような勉強が楽しいわけもなく、積極性はどんどん失われていってしまいます。一見難しい問題でも、基 礎知識を使って自分で考え、答えを導き出せたときの喜びは、目先の試験で100点を採る喜びに勝るものです。その喜びを早いうちに味わうことができれば、次々と学んでいこうとする姿勢が身につくはずです。目下の試験・受験に間に合うのか、という点についても、最低限の基礎知識さえあれば、理解力・思考力でどんな問題にも対応できる
のですから、やみくもに知識を詰め込むより、長い目で見ても短い目で見ても、有意義なのです。
 私は小学生のころから塾でこのような視点からの指導を受けていたと思います。学習に際しては個人の能力の差や得手不得手があるため、勉強のやり方もどのようなものが適しているのか、千差万別です。主体性をもって学ぶことにより、自分の弱点や武器を知ること ができ、最も有効な勉強方法を見つけることができるので、学習スピードも上がり、理解力・思考力が培われていきます。塾での、私の能力、そして性格までをも加味したきめ細やかな指導によって、勉強を嫌いになることがなく主体的に学び続けることができ、深く考え、理解する習慣をつけて司法試験に一回で合格することができました。
角谷 史織